【第559回】 不祥事をポジティブにも捉える

昨年暮れ、合気界に不祥事が起った。起こしたのが合気道の指導者、関係者ということで、多くの新聞の記事になったようだ。開祖がご健在でこれを聞けば、烈火のごとく怒られたことだろうし、二代目吉祥丸道主は深い悲しみに陥られるだろう。

残念だが、起きてしまったことは取り返しがつかない。しかし、これをそのままにしたり、悲しんだりするのではなく、これを一つの機会ととらえ、このような事が二度と起こらないようしていかなければならないと考える。

そのために、この事件を悲しんだり、言い訳をするのではなく、ポジティブに活用すべきだと考える。
まず、大きく報道されたということは、世の中をよくしようとしている合気道、合気界、しかもその指導者がやったということにある。もし、合気道もやっていない一般人ならこれほど派手な記事にならなかったはずである。つまり、合気道は世の中を良くするための武道であると注目され、そして期待されているという事である。この事を合気道の関係者も稽古人も再確認するいい機会と捉えることである。

また、合気道をやっていた彼が、何故あのような不祥事を起こしたのかを、冷静に考えてみることである。
私の考えでは、彼は合気道をやろうがやっていまいが、このような不祥事を起こしたはずである。少なくとも、合気道をやったためにこの事件を起こしたわけではない。合気道をやっていなくとも、このような事件を起こしたかもしれないのである。

更に、ポジティブに考えれば、合気道をやっていたために、事件もこの程度で済んだのであって、やっていなければもっと大きな、悲惨な事件になっていたかもしれないと思う。

起こったことは仕方がない。不祥事の処理と今後の対策が大事である。
その意味で、合気会の本件の対応は完璧だったと思う。やるべきこと、できることをすべて迅速にやったと感服している。
今後は、このような不祥事が、指導者だけでなく稽古人たちにも二度と起こさせないように、どうすればいいのかが課題になるだろう。

開祖の教えによれば、合気道にカスが溜まってきたということである。長い間には、カスが溜まることは仕方がない。しかし、そのカスを取り除いていかなければならない。合気道の稽古と同じである。
この機会を、合気道、合気界に溜まったカスを取り除いていくと、ポジティブに捉え、先に進んでいって欲しいものと、老婆心ながら希望している。