【第555回】 胸を拡げる

合気道を稽古している人の中に腰を痛める人が結構多いようだ。もともとそのような素質のある人もいるだろうが、稽古によって痛める人も好かなくないはずである。
これまで、腰を痛める原因は体の裏をつかって技をつかうことにあると書いてきた。法則に反して、体の裏(胸・腹側)をつかって技を掛けるために、己の体重や相手の力を膝に受け、まず、膝を痛め、それが腰に来て腰が痛むのである。
従って、腰を痛めないため、そして膝を痛めないためには、体の表(背中・腰側)をつかって技を掛けることである。

しかし、最近、体の表をつかった稽古をしていても、腰に違和感をちょっと覚えたのである。軽い痛みである。腹筋運動や柔軟運動で腰がそれまでのように伸びず、ちょっと痛むのである。
これは体からのメッセージで、体のつかい方が間違っているから直しなさいという警告である。

その原因がわかったのは、街を歩いていて、ショウウィンドーに映った己の姿を見たときである。老人のように背中が丸くなり、うつむき加減の貧相な姿なのである。
背中が丸まることによって、腰に負担が掛かっているのがすぐわかったのである。これでは腰が痛くなるのは当然である。

そこで丸まっていた背中を伸ばすべく、胸を拡げて歩き、坐っていても、仕事をしている時も、出来るだけ胸を拡げるようにした。
はじめは、胸を開いていたが、開くということは横の動きだけなので、腰と結びつかず、腰を伸ばすことにならないことがわかった。それで胸を拡げるようにしたのである。胸を拡げるとは、縦と横に拡げることである。縦と横の十字である。ただ無暗にやっても十字には拡がらないものである。

まず、何事も天地の縦からである。気を天に挙げ、それに従って息を入れて息を上に挙げる。そうすると気と息が地にも下り、そして胸が拡がる。拡がった胸と腰が結び、腰が引っ張られて伸びるのである。これでそれまで違和感のあった腰が正常にもどったのである。

その後、胸を拡げるようにして生活し、稽古をしたわけだが、これを続けていくと、不思議なことに、胸でものを見るような感覚になるのである。勿論、実際に見ているのは目を通してである。
道を歩いていても、前から来る人たちを、胸で見るようになるのである。すると面白いことに、胸を開いて見ると、モノがこれまで以上によく見えるのである。それもそのモノ自体だけでなく、周り全体がよく見えるのである。例えば、道場稽古を、胸を拡げて見ると、これまで見えなかったことや道場全体が見えるのである。かって有川先生は、稽古中の稽古人の稽古の様子をすべて見ているといわれていた。確かに、先生は誰かが変な事をやっていると、すぐに寄っていかれ、注意されていた。これは、先生は目で見ていたのではなく、胸で見ておられたのではないかと思う。

胸を拡げること、拡げた胸で物事を見ることは、目が薄くなってくる高齢者にはますます重要になるはずである。また、腰にもいい。