【第541回】 10年辛抱

合気道は日々変わらなければならないと云う。技でも考えでも変わっていかなければならないということである。去年やったことや言ったことと同じことに固執して、技を掛けたり、話をしていては駄目ということである。特に、高齢者には多いから、注意しなければならない。

日々変わるということは、道にのっていなければならないことになる。
ここで変わるという意味は、良くなるということである。変わるにしても、悪く変わって生とか、めちゃくちゃに変わることではない。道という規範で変わるわけであるが、道であるためには、進むための目標がなければならない。

合気道で云う、日々変わるということは、日々、目標に少しずつでも近づかなければならないということになるわけである。従って、変わらないということは、道に外れているか、または道に腰を下ろしたり、寝転んで、動かない状態ということになる。

合気道の修業で変わるということを見てみると、初心者の内は、形(かた)を覚え、体を鍛えていく。ここでは、意識しなくとも、日々変わっていくから、問題はない。

次に、形を覚え、力もついてくると、受けの相手を何とか倒そうとするようになる。相手が上手く倒せれば満足するし、自分は上手くなったと思う。この満足を続け、拡大することが、この段階での「日々変わる」ことになるだろう。

しかし、この相手を倒したり、制する事で日々変わることには限界がある。何故かと云えば、形で相手を倒しているからである。相手も形を身に着けているわけだから、後は腕力や体力の力に頼るしかなくなるからである。
そうすると力をつければいいと、鍛錬棒を振ったり、筋トレをしたりすることになる。確かに、力をつければ、当座の間においては、以前より相手が倒れてくれるようになるが、それにも限界があり、いずれ日々変わっていくのが止まってしまうことになる。
この時点で止まっている稽古人は結構多い。その上、多くの稽古人が、日々変わることができないと思い、ここで合気道を止めていっているものと考える。

この次元で「日々変わる」ためには、これまでとの稽古の質と考えを変えなければならない。
まず、形で相手は倒れないということを知らなければならない。相手は「技」で倒れるのである。それも。相手を倒すのではなく、相手が倒れるのである。つまり、相手が自ら倒れるようにするのである。
「技」は、宇宙の営みを形にしたもので、そこには宇宙の法則がある、と教わっている。

この技を錬磨する次元に入ってくると、日々変わるというより、日々変わらざる得なくなってくる。合気道の形稽古で、無限にある宇宙の法則を見つけ、技として取り入れ、身に着けていくからである。
開祖が、初めに書いたように、「日々変わらなければならない」と言われたのは、この技を錬磨して精進することを指されていたに違いない。

しかし、人は少しずつしか変わっていけないようである。勿論、開祖のような方も世の中には居られるようだが、それは例外である。
私の場合、技の稽古に入ったのは、ほんの10年前からである。それまでは、形で相手を倒して喜んでいたわけである。それが30年から40年続いたことになる。

今の「日々変わる」速度は、以前よりどんどん加速しているようである。10年前は一進一退、遅々として進まなかったり、そもそも変わっているのかどうかもよく分からなかったものだ。しかし、今、以前を振り返ってみると、紙一重ではあっても少しづつ変わっていたのである。紙一重という変わり方だったので気が付かなかったのである。そして10年たって段ボールほどの厚みになったので、変わってきたことが分かったわけである。

技の稽古で日々変わるようになると、それまでの変わり方と大きく違ってくる。量的な変わり方と、そして質的な変わり方をするのである。
量的な変わり方というのは、ある線上を上に上がっていくという変わり方である。質的な変わり方というのは、それまでの線と別の線ができて、その線に移って進むことである。例えば、目に見える世界から見えない世界、つまり、顕界から幽界での稽古に入るとか、魄から魂の稽古に入るということである。

私の場合は、この段階に来るまで10年を要した。才能があり、そして努力をすれば、もっと短期間でこの段階に入れる人はいるだろうが、取り敢えず、10年の辛抱が要るだろう。