【第540回】 高齢者の稽古のポイント

これまでも高齢者の稽古がどうあるべきかを書いてきた。それとダブルものもあるかもしれないが、今回もそのポイントを書いてみる。
まず、高齢者の稽古ということは、若者の稽古との対照の稽古ということになる。
高齢者の稽古は、若者の稽古とは違わなければならないということである。
その理由は、一つは、体が衰えていることである。筋肉や内臓が若い頃と比べて衰えているのである。これは事実である。認めたくないだろうが認めなければならない。従って、若い時と同じようには体をつかえないのである。
二つ目は、一つ目に関係して、力とエネルギーも衰えることである。従って、若者のように、腕力や体力の力に頼っていけないことになる。
三つ目は、若者は自分自身のために稽古を積んでいけばいいが、高齢者はそれを土台にし、更に、世の中のため、後進のために稽古をしなければならないと考えるからである。

これらを前提にして、高齢者の稽古はどうのようにしなければならないのか、を考えてみたいと思う。

先ず、高齢者の稽古は無理のない稽古である。無理のない技づかい・体づかいの稽古をすることである。無理がないということは、自然であるとか、理に合っている稽古ということになる。要は、宇宙の法則に則った技づかい、体づかいをする稽古ということになる。これは、これまで「合気道の思想と技」「合気道の体をつくる」「合気道上達の秘訣」に書いてきていることである。

二つ目の高齢者の稽古は、これまでの力(魄)主体の稽古から、心(魂)の稽古をすることである。力の稽古では、どうしても力に頼った稽古になり、相手を倒さなければ気が済まない、勝ち負けの相対稽古になってしまう。が、今度は、その力を土台にし、心を表に出し、こころで己の体と相手を導いていく稽古をするのである。
相手を意識したり、相手を対象にした稽古ではなく、今度は、己を意識する、己自身との戦い、絶対的な稽古にするのである。己の心に負けないように稽古をするのである。相手を倒したり、押させるのはそう難しいことではないが、己の心、己自身に負けないようにするのは容易ではない。

三つ目の高齢者の稽古は、自己の禊ぎから世の中の禊ぎの稽古にしていかなければならない。合気道は、結局は禊であるといわれる。自分を禊、そして万有万物、宇宙を禊ぐのである。宇宙楽園建設のための生成化育を阻むものを取り除いていくのである。
まずは、己自身を禊ぎ、そして世の中を禊いでいかなければならないのである。それは高齢者の責任と役割である。

四つ目の稽古は、合気道の後進へ遺産となるような稽古をすることである。合気道の稽古の基本は、宇宙の法則を見つけ、身に着けていくことと考えれば、その無限にあるだろう法則を見つけ、それを後進に残していくことである。後進たちは、それを基に、更に新たな法則を見つけていき、それをかれらの後進たちに伝えていってくれるだろう。そしていずれかの時代に、宇宙の多くの法則・宇宙の営みを身に着けた合気道家、つまり宇宙人が出現することになるだろう。そうなれば、その宇宙人となった合気道家が、地球や宇宙の世の中を更に禊いでいき、そしていい世の中ができると考えている。