【第528回】 千年具眼の徒を俟つ

伊藤若冲(1716−1800)という、奇想とも云われるほどの、個性的な絵描きがいた。若冲は花鳥画や水墨画、そしてモザイク風の描法や独自の技法の版画有名であるが、当時はあまり評価されることはなかったようである。評価が高まったのは1990年代後半からと云われる。

若冲は世間からは評価されなかったが、自分と自分の絵には確固たる自信を持っていたろう。評価されないのは、今、世間には己の絵を理解する人がいないためだと思っており、その内にきっと理解されるとことを確信していた。そして、「千年具眼せんねんぐがんつ」と、1000年後に理解する人の現れるのを待つ、と言ったのである。

現在では、伊藤若冲展が頻繁に開催され、行列ができるほどの大入満員で、大いに評価されている。また、海外のコレクターも競って収集をし、若冲の絵の研究をして、多くの新しい発見もしているのである。若冲が言ったように、具眼の徒が現れたわけである。しかも、1000年も経たず、200年、300年ほどである。

何故、若冲は、自分の絵の理解者を、今その時でなく、「千年具眼の徒を俟つ」と言ったのか、また、言うことができたのか、興味があるので、合気道に合わせて考えてみたいと思う。

若冲は、家が青物問屋で、その当主として何年か働いた後、弟に譲って絵に専念したというから、経済的には恵まれ、絵を売って生活しなければならないということはなかったわけであり、自分の好きなように描くことができた。

この経済的な安定により、絵を沢山描いて、沢山売ろう、また、人に負けないように有名になろうなどの必要はなかったはずである。つまり、他の絵描きなどと競争するとか、世間の風潮に流されたり、また、世間との評価など気にせず、自分自身の思いと自身との闘いで絵を描いていたはずである。自分に満足できる絵を描き、己の絵を少しでも精進したいと考えたはずである。

競争社会は物質文明であり、刹那主義になる。今が大事で、今、勝たなければ意味がないという刹那的な社会である。
若冲は競争社会から離れ、見えないモノを大事にする精神文明、時間を超越した超次元で絵を描いたというよう。
合気道でも、見えるモノ(魄)に頼った稽古をしている内は、大した仕事はできないし、限界があるはずだから、見えない世界の精神科学、時間を超越した過去・現在・未来の稽古をするようにならなければならないことになろう。

合気道に道があるように、若冲の絵の世界にも道があったはずである。自分と求める絵の究極的な目標とを繋いだモノが道であり、若冲も、己がその道のどの辺にいて、理解者が現れるのはこの辺だろう等と見えたはずである。
道の先にいっている人が後ろを振り返って見ると、それが良く見える。理解者がここまでたどり着くのに、どのぐらいかかるかなども見えるものである。

何事も、道をつくり、道の先を行く人は孤独であろう。しかし、先達たちは、後進がいずれそこに到達し、己を理解してくれるとともに、それを基に、更なる精進をしてくれることを期待しているのである。