【第519回】 笑顔と感謝

世の中、ますます忙しくなってきているようだ。自分の子供の頃はもちろんのこと、学生時代、結婚や就職をした頃と比べても、忙しく慌ただしくなっていることは確かである。

年を取ってくると、我々高齢者のために一生懸命働いてくれる人たちを大変だなと思うし、気の毒にも思うようになる。若者たちは気の毒に思ってもらわなくともよいと思うかも知れないし、余計なお世話だというかも知れない。また、何で気の毒なんだ、と疑問視するかもしれない。

気の毒に思う理由を一言でいえば、笑顔がどんどん消えていることである。笑顔がないということは、働くことに喜びを覚えないということであるし、生きていることにも喜びを覚えないということでもある。

幼児を見ると、みんなニコニコ顔をしている。生きていることを、体と顔で表現しているのである。しかし、この笑顔が年とともに薄くなって、消えていくのである。

また、明治や大正時代、また敗戦後の貧しかった時代などに撮られた写真の人々の表情には、貧しさからくる悲しそうな顔ではなく、生きている喜びを表す笑顔がある。

合気道を稽古にくる稽古人達も、私の入門当時に比べれば、笑顔が薄らいできているように思える。好きな事をやりに来ているのに、笑顔がないのは悲しいかぎりである。好きな事をやる時ぐらいは、笑顔になりたいものである。

笑顔になるためには、感謝できなければならないようだ。生きている事への感謝、仕事をやっていることへの感謝、合気道を稽古できることへの感謝などである。

感謝することはいくらでもある。生きていることの有難さや不思議さは、正常の状態ではなかなか分からないものである。特に若くて元気なあいだは、気にもしないものだ。年を取ってきて、体も弱りはじめ、怪我や病気をしたりすると、その有難さがわかってくるのである。健康に感謝し、体に感謝し、環境に感謝し、身を守ってくれる偉大なものに感謝するようになるのである。

生きるために働くということは、大変なことである。朝早くから夕方まで、時には夜まで働くのである。週5日や6日は毎日、会社に行かなければならないし、仕事も手ごわいものであるだろう。楽しいこともあるだろうが、多くはその反対のはずである。だから、その見返りに報酬をもらうわけである。もし仕事が楽しいだけのものなら、報酬はもらえないだろうし、逆にこちらからお支払いしなければならないことになるだろう。

働くことが厳しく大変なものだと、嫌気がさしたり、止めたくなることもあるだろう。本当に止めた方がよい場合もあるだろうが、私の体験から一ついえることは、仕事を持っているということを感謝しなければならない、ということである。それは、失業してみるとよくわかることだ。

これと同じように、学校に行くようになると、学校に行くのがいやになったり、止めてしまう人もいるだろう。だが、学校を止めて初めて、学校の有難さがわかるということもある。

合気道でも、稽古ができることに感謝することである。稽古ができるということは、健康であり、時間的・経済的に余裕があり、家族の理解がある、等という条件に恵まれているということである。この一つでも欠ければ、稽古はできないわけであり、ちょっとしたはずみで、この必要な要素が欠けてしまうこともあるのである。稽古ができることには、感謝しても感謝し切れないだろう。

感謝の気持ちが出てくれば、笑顔が出てくると信じる。生きること、勉学、仕事、稽古等々に感謝である。笑顔を普及させて、合気道の目標である、地上楽園建設のお手伝いをしていきたいものである。