【第505回】  利己主義と愛

地球上では、まだ争いが絶えないどころか、どんどんエスカレートしているように見える。国と国、地域と地域、ビジネス、人と人など、自分から遠く離れたところや身近で、あるいは直接関与して争っている。

合気道の教えによれば、これは人類がここまで豊かになるために溜まったカスであるという。人類は溜まったカスを取り除いていかなければならないのである。それを、合気道では禊という。

争いの根本的な原因は物質文明で主役である力やモノの魄に頼ることにある。魄が心や精神の魂の上になり、表になっているので、真の心である魂が働けないのである。

従って、魂が魄の上になり、魂が人や世の中を導くようにならなければならないわけである。だが、人類700万年のカスを取り去るには、長い時間がかかるはずである。願うこと、祈ることはできるが、一度に解決ということにはならないから、少しずつできることから禊いでいかなければならない。

合気道は禊である、といわれるわけだから、自分に溜まったカスだけでなく、世間、人類、地球上のカスを禊いでいかなければならないだろう。少しずつでもできることを、みんなでやり続けていかなければならない。これが開祖の希望であり、我々合気道同人や人類に期待していることであると考える。

頻発している戦争、テロ、大小の争いの原因は物質主義であると思うが、物質主義というのは力に頼る競争主義であり、己を利することを考える利己主義といえよう。武力や資金力などの力に頼って、相手を負かそうとか、相手の利を己のものにしようとするのである。

力で勝って利を得た方は満足するわけだが、利を得られない側は満足せず、反抗し、ついにはテロや革命などにまで発展するのだと思う。

自分だけよければいい時代は終わらなければならない。自国だけ利を得られればいい時代も終わらなければならない。自分の会社だけ儲かればいいという時代も終わらなければならない。

宇宙、地球、万有万物は宇宙天国建設、地球楽園建設の完成に向かって進んでいるし、これからもそのための生成化育で進んでいく。これまでは力のある宗教や団体、豊かな国、金持ち、天才などが中心となって、その生成化育を推進したと考えられるから、物質主義が利を得てきたことは当然だったかもしれない。

しかし、今、そのために利を得ることができない、そして利を得る可能性を絶たれた人や国や地域の不満な人たちは、何とか利にあずかりたいと活動し始めたわけである。

この解決策のコンセプトは、今流行りのウィンウィンである。自分だけでなく相手にも利を与えることである。ビジネスであれば、自社も儲けるが、多少目減りしても、相手側にもそれ相当の利を得られるようにすることである。

国であれば、武力、財力、資金力のある国が、そういう力が弱い国を搾取しないことである。自国が資源や生産品などで儲けても、その国も十分儲けるようにすることである。

個人の場合は、国の場合も同じであるが、宗教や思想や様式などの違いがあっても、相手を尊重することである。自分に力があるからといって押しつけない事である。個人でも企業でも、自分だけ儲けて他が貧しくなったとしたら困るだろうし、やはり心からの満足はできないだろう。

地球上には50億人ほどが常時生きているわけだが、一人ひとりみな違うから面白いのである。もし、ロボットや人造人間のようにみんな同じだったら、生きていても面白くないだろう。人は各々が少しでも他人と違うから、それだけ楽しいだけでなく、人類のため、そして宇宙天国建設、地球楽園建設の完成に大いに貢献できて、そして、完成に近づくことになるはずである。

つまり、相手を尊重し、相手の立場を考え、それで相手も満足する、喜んでくれるように、物事を判断し、行動することである。

合気道では、相対で技をかけあって精進していくが、かけた技で受けの相手が納得するよう、そして相手も上達するように、技をかけていかなければならない。つまり、合気道の技の錬磨は、受けと取りが共に上達するものでなければならないのである。力が強いとか、先輩だからといって、受けの相手をただ投げたり抑えたりするのは、魄の稽古として戒められる。

このように相手の立場を考慮し、共に上達するよう稽古することを、合気道では「愛」というのである。開祖は合気道を「愛気道」ともいわれている。そして、この相手の事を考慮する「愛」こそ、人でも国でもビジネスでも、そこに溜まったカスを取り除き、そして、争いを無くするキーである、というのがその教えなのである。