【第497回】  頭と体の緊張

日本も、65才以上の人は全人口の25%、85才以上が3.8%、100才以上の人が6万人以上、という高齢者社会となった。(平成26年、総務省)
平均寿命も、女性は87.0才、男は80.0才で、女性は世界1位、男性は8位の長寿国である。(2014年版「世界保健統計」)

しかし、このような日本の高齢者が心身ともに健康で暮らしているわけではないようだ。多くの高齢者は、自分の思うように心や体をつかって生活できないようである。

その内で最近、高齢者の問題となっているのは、認知症である。アミロイドβという物質が出て脳の機能を低下させ、物忘れを起こさせるのだという。

この認知症を予防したり、改善するためには、一つには運動することだといわれている。運動する人としない人とでは、認知症になる率は40%違うというので、運動はした方がよいことになる。

もう一つは、睡眠を取ることであるという。睡眠中に、認知症の元凶であるアミロイドβが脳から排除されるためであり、だから、睡眠はしっかり取らなくてはならない、というのである。

これは、認知症という観点から見た高齢者の注意点であるが、合気道の観点から、高齢者の注意すべき点を見てみよう。高齢者が健康で楽しく長生きするために注意した方がよい事である。それは、合気道の修業とほとんど同じである。

まず、運動である。体は、動かさなければならない。体は動かすように創られている。宇宙が止まらす、絶えず動いているのだから、宇宙の擬体身魂である体を動かさない、運動しないというのは、宇宙の条理に反するからである。

運動は、特別に激しいものをする必要はない。合気道でもスポーツでも、自分に合ったペースでやればよいし、歩くだけでもよい。ただし、二つの事を踏まえてやることが大事だと考える。

一つは、定期的にやることである。できれば、毎日続けるのがよい。若い時のように、一度に多くやる必要はない。少しずつでも、毎日やった方がよい。毎日やることが積み重なっていって、上達や発展につながり、それが見えてくると、その運動が楽しくなるし、生きている張り合いも出てくるはずである。

二つ目は、例えば散歩で歩くにしても、緊張するように、真剣にやることである。そのためには、自分の心と対話しながら運動するのがよい。他人と比較したり、勝負するのではなく、自分の声を聴きながら運動するのである。心は自分のためになることを言ってくれるから、それを信じてやればよい。もっと早く歩けとか、そんなに急ぐなとか、肩の力を抜け、等々である。

また、頭も使わなければならない。つかわなければ、頭は硬化してしまい、ひどい場合は認知症になってしまう。頭が硬化しないためにも、緊張という刺激が必要であると考える。

合気道の稽古をする場合でも、緊張もない惰性では、稽古上達はないものである。初心者のうちは、相手に痛められないようにとか、何とか相手を倒そうとして緊張するものだが、古参になってくると、そのような緊張も少なくなってくる。

古参が一番緊張するのは、やはり、他人に対してではなく、自分に対してである。自分の心、自分の声が一番厳しいものだし、また、的を得ているからである。その声を無視したり、反することをやれば、ダメージが大きいのが分かっているのである。

自分の心の声は、道場を離れても聞こえてくるものだ。だから、道場を離れた日常生活でも緊張することになるわけだが、会社や他人から指図される緊張とは異質のものであり、緊張はするものの心地よく、有難いものである。

この緊張は、心と心の葛藤である。俗世界に生きようとする心と、真の心(魂)との戦いからくるものであろう。

体も頭も、心でつかっていく。これが心身の一致であり、合気道でいう、心で体をつかっていく、ということであろう。物質科学の世界から精神科学の世界へ遊ぶことになり、力主体の競争社会を離れた、心の世界を享受する幸せな時間を過ごせるようになるものと思う。