【第494回】  高齢者の充実した稽古と生き方

自由業やオーナー企業家などは己の心身と意欲が続くかぎり仕事を続けることができるが、一般的な雇われ人には定年があり、ある時期から仕事を離れ、社会の経済活動から身を引くことになる。それまで張り切り、がんばって仕事をし、仕事中心に生きてきた生き方が、一新するわけである。

定年後、多くの人たちは時間ができ、年金や退職金などで経済的な余裕もできてくる。それまでできなかった海外旅行や国内旅行、温泉や山登りなどなど、やりたいことはできるようになる。実際、多くの定年退職者はそうやっていることだろう。

自分が働いている時期は、働くのが嫌だったり、仕事がなくて自由に時間が過ごせればどんなにすばらしいだろうと思ったりするものだ。だからだれでも土曜日、日曜日の週末や祝祭日を楽しみにする。

しかし、定年などで仕事がなくなると、はじめの内は仕事をしないことを喜ぶが、だんだんと仕事が恋しくなってくると思う。特に、失業でもした時は、仕事がしたいと思うだろう。

人にはどうも、現実にあることや自分を否定して、対照にあることや自分を夢みる性があるようだ。身近でその典型的なものに、陽気がある。暑い夏には暑い々々と、冬が好きで夏が嫌いかのように文句をいうが、冬になると、今度は寒い々々と夏の味方になってしまう。つまり、いつも不平不満をいっているわけであるが、これでは生きているという実感を味わうことはできないだろう。

定年を迎えて、自由時間を満喫する人もいるし、同じ会社や別組織などで引き続き働き続ける人もいる。どちらの生き方にしても、一つの共通なモットーがあるだろう。それは、自分の後半の人生を有意義に過ごしたいと思うことだろうと考える。

自分の人生を有意義に過ごすとは、生き甲斐を実感すること、生きていてよかった、生まれてきてよかった、と思えることだろう。

合気道には定年はない。100才で稽古を止めなければならないというような決まりはない。いつまででも、体と意欲さえあれば続けられる。しかし、現実的には、年を取って力が弱くなり、体が動かなくなってくると、引退となるだろう。

合気道の引退を少しでも長く引き延ばすためには、まず体が動くように保つ努力をする必要がある。そのためには、体(骨・関節、筋肉・内臓、血液・血管など)を柔軟にしなければならない。少しずつでも毎日運動をする、栄養を摂る、十分睡眠をとることである。

次に、合気道の道場での稽古法である。だんだんと魄の力に頼らず、息と気持ちで技をつかうようにしていくことである。つまり、若者文化から高齢者文化へ、魄から魂へ、の変革である。

三つ目は、合気道の技から宇宙の法則を見つけ、その法則で技をつかうようになることである。年を取るということは、宇宙の法則を多く見つけ、その法則で技をつかえるようになるということになろう。

力も無くなってくる高齢者ではあるが、宇宙の条理である法則に則った技をつかえば、多少力の強い若者でも技で導くことができるようになるものだ。こうなると、合気道をやっているという実感、充実感が得られるだろう。

世の中には、年を取らなければ見えなかったり、わからないことがたくさんある。合気道も、ある程度の年を取らなければ会得できないものだと思う。これも、年を取ったからやっと分かってきたことである。

この合気道を早期引退せずに少しでも長く稽古を続ける方法は、稽古をしている実感と充実感を持てることであり、またこれは少しでも長生きする方法ということにもなるだろう。合気道の稽古を80、90才まで続けることができれば、生きてきたという実感と喜びを得、本当に“生きた”と思えることになるのだろうと考えている。