【第485回】  生き甲斐

合気道のおかげで、宇宙のことから自分のこと、つまり、自分はどこから来て、どこへ行くのか、なぜここにいるのか、自分は何をすればよいのか、等が分かってきたと感謝している。

合気道をつくられた植芝盛平翁とも直接接することができ、合気道の技だけでなく、宇宙規模の教えを受けることができたことにも感謝感激である。

大先生(開祖)のお話は、当時はもちろん、つい最近まで理解できなかったし、また、不謹慎ながら完全に信用することもできてなかった。それは、あまりにも現実や己自身とかけ離れていたからである。

しかし、最近になって、大先生がいわれていたことと、現実をつなぐものが出てきているので、大先生のいわれていたことはやはり正しかったのだ、と確信することになった。と同時に、さすが大先生には先見の明があったのだと、その偉大さを改めて認識した次第である。

今、日本には3,4万人の100才以上の高齢者がおられ、中にはまだまだ活躍している方々がおられる。その内の一人が、日本医学界を代表する医師である日野原重明聖路加国際大学名誉理事長である。この日野原医師がいわれることが、大先生のいわれていた事と重なるのである。

例えば、

  1. 大先生は「50,60才はまだまだ鼻ったれ小僧である」といわれていたが、日野原医師は「第三の人生は75才からはじまる」といわれている。
  2. 大先生は「売るのが先。愛を売らなければならない」、つまり、もうけるために売るのではなく、相手に喜んでもらって、お金を頂かなければならない、ということをいわれている。これに対して、日野原医師は「持つより与える人生が豊かな人生」であるといわれる。
  3. そして、ここがポイントである。大先生は「人は天の使命があり、その使命を果たさなければならない」といわれているが、これがよくわからなかった。自分にも使命があるのか、あるとしたら、天からどんな使命が与えられているのか、自分はその使命を果たしているのか、また、他のだれもが使命を持たされているのか等々、今一つ確信が持てなかったのである。
しかし、日野原医師は「生きがいのある生活とは、自分には役割があると思う事、自分はまだ有用であるという意識を持つことです。」といわれている。自分の役割とは、「使命」のことである。

日野原医師の考えに従って、大先生の使命観を解釈すると、納得できるのである。つまり、生きがいのある生き方をしたければ、天から使命が課せられていることを知り、それを果たしていかなければならない。その使命を果たすことによって、周りの人や世の中に喜んでもらえれば、天が満足し、それが自分の喜びとなり、生き甲斐を持つことにもなる、ということだろう。つまり、これが先述の「持つより与える人生が豊かな人生」ということであり、75才以降からわかってくる、ということにもつながるだろう。

使命とは、要は、生き甲斐を持ってやること、そして生きていくもの、であろう。天から課せられているようであるが、それが自分の使命なのかどうか、判断するのは自分である、ということであろう。

合気道の稽古においては、やりがいのある稽古ということを、これに沿って考える必要があるだろう。


参考資料: 「いのちを見つめて」『第12巻 よく生き、よく病み、よく老いる』(日野原重明) (NHKサービスセンター制作)