【第482回】  高齢者の稽古の基本

人はみんな一生懸命に生きている。少しでも幸せになろう、自分の夢や希望を達成しよう、と生きている。

幸せ、夢、希望は人それぞれに違うし、時代や地域によっても違い、比重も違うだろう。だが、幸せになろうとか、夢や希望を持つことは、生きる励ましとなり、生き甲斐となるはずである。

生き甲斐は、人により時代や地域によって違いがあるだろう。だが、人として共通で、一般的な生き甲斐があるように思う。

一つは、新しい発見や体験をしていくことである。知らない世界を知ったり、新しい自分自身を発見する、などである。勉強したり、本を読んだり、映画・演劇・歌舞伎・能・狂言・オペラ・コンサート等を鑑賞したり、武術やスポーツに励むこと等である。これは、新しい世界を知ることであり、そして、自分自身をも知っていくことになる。年を取り、過去の時間を振り返ってみると、いろいろな世界のものを鑑賞したり、体験してきたものだと感心するが、これは今思えば、人の一般的な生き甲斐を求めていたということになるだろう。

二つ目は、成長することである。自分自身が成長すること、変わっていくことである。だが、もうひとつの成長がある。それは、己の子供や家族、後進や後輩など、他人も成長してくれることである。己が関わっている他人が成長することも、大きい生き甲斐になるはずである。

このような一般的な生き甲斐は、合気道の“稽古甲斐”でも同じだろう。技の錬磨をしながら、新しい発見や体験をし、新しいものを身につけ、知らない世界(例えば、幽界、神界)を知り、知らなかった自分を少しずつ知っていくわけである。

もちろん成長することも、“稽古甲斐”である。成長、つまり合気道では上達とか精進するということになるが、これがなければ、稽古は続かないことになる。

新しい発見があり、成長があるから、今日の稽古、明日の稽古が楽しみになる。そして、来年、5年後、10年後の稽古が楽しみになり、稽古の励みになるのである。これが“稽古甲斐”であるが、生き甲斐にもなるであろう。少なくとも、私の場合はそうである。

この“稽古甲斐”を持ち続けるためには、二つ、三つ大事なことがあるだろう。一つは健康である。健康でなければ稽古どころではないから、健康な体と心をつくり、維持するようにしなければならない。

そのためには、宇宙の条理に則った技づかいをし、理合いに反しない稽古をしなければならない。さらに、水分補給、バランスの取れる食事、睡眠などにも心配りをしなければならないだろう。

二つ目は、合気の道に乗ることである。道に乗らなければ、新しい発見もないし、成長もない。また、健康を害することになる。道とは、己の目指す合気道の修業目標と己を結んだ異次元空間である。己の修業目標を持ち、その目標を達成すべく決心しなければ、この道に乗ることができないだろう。

三つ目は、この道を進むことである。道を進むとは、目標に近づくことである。遅々としてであっても、少しでも近づいていくことである。

これが、物質文明から精神文明へ入る高齢者の稽古の基本であろう。つまり、“稽古甲斐”を持つことであり、これが生き甲斐となるはずである。