【第481回】  心の時代へ

今は物質文明で、力とか目に見えるモノ主体の世界である。金があり、物を持ち、力があるものが評価される時代である。数百年までは貧しかった人類が夢みていただろう時代がやっと来て、それを享受している、ということであろう。有史以来、人類初めての豊かな物質文明である。

だが、最近では、物質文明を満喫するほど金も力もない身であるが、それでも金や物や力を評価しようという気がなくなってきた。自分のそれに興味がなくなっただけでなく、他人のそれも評価しなくなってきた。これは年を取ってきたせいもあるだろうが、もしかすると、自然の流れではないかと思う。

合気道では、体力や力の魄が主体の稽古から、それらを土台にするが、心を表に出した魂の稽古をしなければならない、と教わっている。稽古では、力や体力も大事だから養成しなければならないが、それがある程度できたならば、今度はそれを土台にして、表に出さずに裏に控えさせ、心を前面に出して技をつかうのである。

確かにこの順序で稽古を続けていかなければ、上達もないし、体を壊すことにもなるだろう。

この合気道の教えに従えば、人類の文明もある程度、物質文明を謳歌したならば、次はそれを土台にして、精神文明に移っていくことになるはずである。合気道はそれを先取りしているわけである。また、年を取ると共に、そういうことに感じやすくなるようだ。

生きる喜びを感じ、感動し、生きることのすばらしさを感じるのは心であるが、その心を感動させてくれるのはモノではなく、人の心、愛の心である。愛の心とは、相手や万有万物を思う心である。宇宙の生成化育と一致する心である。

これまでのように、技術がよい、機能がよい、安い、などを主体にした製品ではなく、ユーザーの心を呼び出すような愛を売り込まなければならない。最近の映画やテレビの主流は力や金などの物質礼賛モノであるが、これも心を大事にした作品になっていくだろう。

また、ビジネスも儲けることが先ではなく、先ずは愛を売り込むことによって、人の心を呼び出し、その結果、互いがウィンウィンになっていくことだろう。「おもてなし」や親切が人の心を捉えるのも、愛の心が人の心を呼び出すために評価されるわけである。これからは心の時代になっていくはずであるし、そうならなければならないと思う。