【第48回】 プロセスがおもしろい

世の中、結果さえよければ良しとする傾向があるために、いろいろな問題が起きている。金が儲かるためには、他人がどうなろうとかまわないとばかり、インサイダー取引など法に触れることをしたり、また、人を襲ったり殺したりする。

合気道の稽古でもよほど注意してやらないと、相手を投げたり、押さえればいいという結果重視の稽古になってしまう。相手が投げられたり、押さえられるのは正しいプロセスを踏んだ結果なのであり、プロセスを軽視したり、間違っていては、相手を投げたり、押さえても、相手も自分も満足できないはずである。

長い間勤め上げてから定年退職した人の多くは、もう勤めに行く必要もなく、時間もあるし、退職金と年金で経済的な余裕もある。勤めていたときには、勤めをやめたら夫婦で海外旅行に行こうかとか、温泉旅行や国内旅行をしようかとか、カメラをもって写真をとりに行こうかなどと夢見ているだろう。いざ勤めをやめて一、二年は、経済的に裏づけされた自由時間を謳歌しているようだが、不思議なことにだんだんと精彩がなくなってくる。街では多くの定年退職者を見かけるが、どうもあまり精彩がないようだ。時間も金もあるはずなのだからもっと楽しそうであっていいはずだが、勿体ないことである。

高齢者の多くは、日本に高度成長をもたらすために頑張った人たちであり、会社や家族のために一生懸命に働いてきた人たちである。多くの人は定年を目標に働き、生きてきたのに、いざそのゴールの定年に達すると、そこには期待していたものがないということが分かってくるらしい。そして、以前のような思い入れを注ぐことができる次の目標や生きがいを見つけたいと思うようである。

人は、どんなにいい環境にいても満足できないし、そこにじっとしていることも出来ないものだ。人間は、どうやら生産的に生きないと満足できないようである。人、社会、人類のために生産的に生きるか、自分のために生産的に生きるか、はたまた、開祖が言われるように、地上天国の建設のために生きるか、である。大方の勤め人は、主に会社や家族や社会のために働いてきたのだから、今度はもっと自分のために生産的に生きればよいのではないか。

合気道はその意味でもいい。勤めていたときと同じようなエネルギーや思い入れも注ぎこめるし、技のプロセスも楽しむことができる。そして、自分の人生のプロセスも堪能できると思う。人は、結果よりそこまでのプロセスにより大きな喜びや感激を得るし、そのための思い入れが大きければ大きいほど、成功の喜びは大きいのである。