【第460回】 今のうちにやる

人は、今の自分で先の自分を考えるようだ。今、元気で飛び跳ねているから、5年後、10年後も同じように元気でやっているだろう、と思って生きている。小さい子供の頃を思い出してみると、大人になる自分など考えもしなかったし、大人は昔から大人で、自分はずっと子供であるように思っていた。

しかし、年を取ってくると、以前は何とも思っていなかった人の世の短さやはかなさが、身にしみて分かるようになった。「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」という豊臣秀吉の気持も、わかるようになったのである。

両親が亡くなり、知人、友人も段々リストから消えていくし、合気道の先生方も亡くなられ、先輩もどんどん減ってくる。今まで自分の前には先生や先輩が大勢おられて、教えを乞うことができたのだが、一人減り二人減りと、上を見たらだいぶ寂しくなってきた。己もいずれは先輩たちと同じ道をたどることになるわけだが、それが実感できるようになり、寂しい限りである。

これまで元気でやってきた者が、足が痛いとか、腰が痛いとかいいだし、体も変わってくる。60年も70年も使わせてもらったら、ガタが来るのは仕方ないことだろう。使えばどんなものでも疲労するわけだから、不思議はない。できることは、少しでも丁寧に使って、ガタが来るのを遅らせたり軽症にすることだろう。

しかし、ガタを怖がって何もしないことや、やるべきこと、やりたいことをやらないのでは意味がない。やはり、一日一日変化があり、上達があるように生きるべきである。

お迎えが来た時に、あれをやっておけばよかったとか、あそこに行ってみたかったとか、あれを食べておけばよかった、等の後悔もしたくはない。

有難いことに、合気道の修業は続けることができている。合気道のお蔭で、いろいろなことが分かってきたのだから、お迎えが来た時に、どれだけ自分のこと、宇宙の事、そして合気道がわかっているのか、楽しみである。

少しでも満足してお迎えに来てもらうためには、合気道の稽古でやるべきことを、今、できる限りやらなければならない。また、何事も明日に期待して先延ばしするようなことはせず、その時その時にやるべきであろう。明日来るかもしれないその時に、後悔しないように。