【第459回】 竹本住大夫語録
年配者のいうことには、含蓄があるものだ。とりわけ事を成し遂げた80歳以上の方の語ることは、生きる知恵や教え、鼻をへし折られるような戒めや諭し、生きるすばらしさ、生まれてきたことや生きていることの不思議さ、などなどを教えられるすばらしいものである。
昨年5月、浄瑠璃の大夫を引退された、人間国宝の竹本住大夫さんが『人間、やっぱり情でんなあ』(文芸春秋刊)を出版されたので、読ませてもらった。人間として、また合気道家としても、いろいろと教えられ、合気道を志す人にも大変参考になると思うので、内容を紹介してみよう。
なお、私の本の読み方は、読みながら面白いところ、大事な箇所に赤線を引いていき、一度読み終わったら、その赤線部分をもう一度読むのである。今回は、その赤線箇所で、合気道修業に関係あるところを紹介することにする。順序は本のページの順序であるので、脈絡に関連性はない。
- 80過ぎれば、当然、体力は衰えてくる。それをカバーするのは、長年の修業の積み重ねと日々たゆまぬ稽古です。
- 因縁というか宿命というか、自分の知らんところで、こうなると最初から道が決まってたような気もしてきます。
- やっぱり子供の時分に、いろんなものを見たり聴いたりするのはええことなんやなあ、と思います。
- 伝統芸能の世界では、還暦なんてまだまだ中堅若手
- 文楽の先輩たちは絶対にほめません。
- プロになるなら、いっぺんサラ(白紙)にしてやり直せ
- 声ができるまで、大夫には大声を出して鍛えんといかん時期があります。
- あんまり頭で考え過ぎたらあかん
- 師匠方にお稽古を見て頂くときは、幕下力士が横綱にぶつかり稽古にいくみたいな感じでした。
- 駆け出しの頃は、気張って口に力が入ります。すると知らず知らずのうちに、上半身がこわばった硬い声しか、口から出ません。力を抜くことが分かってきたら、すこし楽に声が出せます。
- 最初にいい指導者につくことは本当に大事ですけど、どんなに素晴らしい師 匠に習っても、真似してみても、それぞれ持って生まれたものが違う以上、絶対そのとおりにはいかない。ここに芸の難しさも面白味もあります。
- 自分の知らないことや、自分に出来ないことを教えてくれる人は、みな師匠。
- 「体が覚える」。長年の稽古が体に染み込んでるということでしょうけど、体の感覚として、筋肉が覚えているという感じです。
- ヘタが上手ぶってやる芸ほど、見苦しいものはありません。無我夢中やった駆け出しからすこし馴れてきて、私の中におごる気持ちが芽生えてきたんでしょう。
- 知らず知らず天狗になるのは、若いとき、だれもが一度は通る道と思います。天狗の鼻が高いまま、ずっと行く人もあれば、天狗になって失敗して、勉強する人もある。
- お経をあげるのに大事なのは、声やないでえ。心や。浄瑠璃も「心」で語るもんです。
- 床で語っていても、紋十郎師匠が人形をもって出てきはるのがわかるんです。 風圧がふあっと床まで伝わってくる。
- 人間、いくつになっても“初めて”があるものです。
- 「一生では修業が足らん、もう一生欲しい」
- 山の高いところから見下ろしていはる人には、登ってくる者がどこを歩いているか、よう見えます。
- 「ヘタが上手ぶってやるな、とにかく素直にやれ」
- 基本に忠実に、基本に素直にやって最後は人間性
- 浄瑠璃ってよう出来ているなあ、浄瑠璃とはええもんやなあと思うたのは、還暦をすぎてからやす。
- 日々の稽古でぎりぎりまで頑張らんと余力を残している者には油断があります
- 「不思議と怒られるとこはみな一緒や」。人が叱られているところは自分もできてないと思うて、耳傾けた。
- 個性個性と最近はいいますけど、基本も身につけられんようでは、個性を出すところまで行ってません。
- 日本古来のものはこれからも続いていって欲しいと願います。
- 満90歳を迎えますが、いくつになっても人生は思いどおりにはいかんもんです。
万有万物は宇宙完成のために分身分業で使命を果たそうとしている、ということがよくわかるし、合気道の修業ももっともっとまじめにやらなければいけない事を教えてくれる本であった。
Sasaki Aikido Institute © 2006-
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