【第446回】 3分集中して稽古する

若い頃は、よく動いた。特に、受け身では、投げられては即起き、また、すかさずかかっていって、取りの先輩の息を上がらせて喜んでいたのである。初心者の頃はまだ技などつかえないため、受け身で相手に息を上がらせていたのである。

若い仲間と、稽古で今日は2人、今日は3人の息を上がらせた、などと自慢しあっていたものだ。今思うと、とんでもない思い違いをしており、先輩方に失礼をしたことと反省する次第である。

あれから半世紀過ぎたわけであるが、今度はこちらが息が上がる番になった。体力がなくなったことは確かであり、とても昔のような稽古はできない。

だが、稽古で大事なことは、年齢に関係なく、稽古が終わってその稽古に満足できたかどうかだと思う。若い頃には失礼ではあったが、稽古相手に息を上がらせ、「ちょっと休ませてくれ」といわせたりして満足できていた。それが、年を取ってくると、そんなことができなくなるどころか、自分の息が上がってしまったり、ハアハア、ゼエゼエすることになりかねない。

しかし、年をどんなに取ろうが、自分の稽古に満足できるような稽古をしなければならないであろう。では、満足できる稽古のためには、どのようにすべきか、ということになる。

満足できるためには、その稽古によって、何かを見つけたり、何かが身につくなど、自分自身が変わっていくことが大事であろう。つまりは、上達することである。

ただし、上達するためには、自分の心身、能力、知恵・知識などを100%総動員し、気力や体力を最大限に働かさなければならない。自分のレベル以下で稽古したのでは、自分のレベル内に留まるだけであって、上達がないことになり、その結果、十分に満足することはできないままになるだろう。

ただ、若い時とは違い、高齢者が1、2時間の稽古を、初めから終わりまで自分の限界以上で続けることはとても無理だろう。それでは、上達し、満足するために、どのような稽古をすればよいだろうか。
それは、かつて、有川定輝師範がいわれていたことであるが、「3分集中して稽古する」ことである、と考える。

人間が心身ともに集中できるのは、だいたい3分間である、といわれている。この集中可能な3分間に、すべてを集中して、技の錬磨をするのである。

といっても、3分間集中して稽古するのも、容易ではないだろう。それは、集中する対象がなければ、集中できないだろうからである。若い頃は、相手を何とか投げたり抑えようとすることに集中できたのだが、これは高齢者のやるべきことではない。稽古は自分との戦いになって来なければならない。つまり、相手ではなく、自分のために集中しなければならないのである。

3分間を本当に集中するためには、己の稽古のテーマ、問題、課題などを持って稽古をしなければならないだろう。これらがなくて稽古をしても、3分間の集中稽古は難しいはずである。

稽古に集中するためには、この他に、世俗の顕界を離れることや、理合いの息づかい等も必要になる。つまり、集中するということは、通常の次元から深い次元に入っていくことである。

3分間集中して稽古をするというと、では、残りの時間の稽古はどうすればよいか、ということになる。残りの時間には、自分の考えたことや思いついたことを試したり、見つけた理合いを体で表現してみたり、技をかけた際の自分の体を観察したり、相手の技や動きを観察する、あるいは、次の集中のためのテーマ、問題、課題等を見つける、等が考えられるだろう。

これが、高齢者が満足して稽古することになるのではないかと考える。