【第438回】 先人の教えを大切に

多くの人は60歳、70歳を過ぎると、生産社会の第一線から退き、次の生き方をするようになる。生産社会に留まったとしても、今までとは違った環境になるだろうし、生産活動の比重も変わるはずである。

われわれ合気道同人の場合には、合気道の修業にかける時間とエネルギーの割合は、確実に増えることだろう。

生産社会で会社勤めをしていた頃にも、時間があるかぎり道場には通っていた。できるかぎり稽古したつもりだが、今考えると、その頃はやはり仕事が主で稽古が従であったと思う。だが、それも仕方がなかったことである。

仕事をしていた頃に比べると、今は稽古の時間が取りやすくなった。また、合気道を探究し、そのために関係する事柄を調べたり、合気道の本質的なことや、宇宙と人や己を追及するという、本来やらなければならなかったことができるようになった。当時、時間的、精神的にできなかったことをやる余裕が、今になってできてきたのである。

今の自分の合気道は、これまでの修業の結果であるが、自分ひとりでつくり上げたわけではない。多くの人たちの教えのおかげでもある。もし植芝盛平開祖の教えがなければ、合気道に入門することも、続けることもなかったはずである。

しかし、当時の開祖の教えは、話されることも見せて下さる技も、我々には高尚すぎて理解困難であった。だが、ふしぎなことに、開祖のいわれた言葉が体のどこかに残っているようで、必要なときにはその言葉が出てくるのである。例えば「まず、天之浮橋に立たなければならない」「相手を絶対に見ない」「息を出す折には丸く息をはき、ひく折には四角」「赤玉、白玉、青玉(真澄の玉)の三つの神宝が必要」「合気は小戸の神技」「合気道の鍛錬は神業の鍛錬」「合気の稽古はその主なものは、気形の稽古と鍛錬法」等々である。

今、聖典である『武産合気』『合気真髄』を読んでいると、開祖からお聞きした言葉を覚えているのか、聖典を読んで覚えたのか、区別や境界が分からなくなってくる。いづれにしても、聖典の教えが開祖がお話をされているような気がして覚えられるので、有難いことである。

次に教えを受けたのは、植芝吉祥丸先生をはじめ、本部道場の師範方、藤平光一、斎藤守弘、山口清吾、多田宏、有川定輝の各先生である。当時は、技をかけ合って飛びはねるのに夢中で、先生方のお話をあまり熱心に聞かず、貴重な教えもほとんど覚えていないのだが、時として思い出すことがある。

例えば、藤平先生は、気を大事にしていた。そして、折れない手とか、重くなる体とか、気のつかい方の重要性を教えて下さった。

斎藤先生は、基本の大切さを教えてくださった。転換法、呼吸法、また一教、二教、三教も、がっしりした稽古をするようにとのことであったが、同時に、三教で己れの内側の手で相手の手先を取る場合、受け身をする時の形で腕をつかうのだ、とも教えて下さった。この腕の形を、「鉄の輪っか」のようにつかうのだと言われ、三教だけでなく、呼吸法や相手を投げ終わった際は「鉄の輪っか」の腕にならなければならない、と教わったものである。

山口先生からは、居つく、つまり足を踏ん張り、力んだりして技をかけないこと、足を自由に遣うこと、そして、中心を抑えること、などを教わった。

多田先生の最大の教えは、80歳を超えた今現在も精進を続けられておられることである。特にすばらしいと思うのは、生徒たちを指導されていることはもちろんだが、同時に、基本的には、ご自分の稽古を続けている「行者」に思えることである。これは、開祖に少しでも近づくように修業されているのだと拝察する。先生のように、自分も80,90歳まで修業できればよいがと思う。

もう一人の「行者」である有川先生からは、一番多くの教えを受けた。力と勢いに頼っていた稽古法を軌道修正して下さったのは、先生である。先生の教えがなければ、今頃は体を壊すか、壁にぶつかって引退していたのではないだろうか。

しかし、先生のその時の教えは、一言だけであった。「そんなことをしていると駄目だな」(相手をぶん投げて喜んでいるような稽古をしていては、上達はないぞ)、というものである。

始めは、なぜ先生があのような、いわば例外といってもよいような、直接的口頭での注意をされたのかわからなかった。そして、数週間考えた結果、今までのような稽古の仕方では駄目なのだということが、少しずつではあったが分かってきた。だが、それではどのような稽古をすればいいのかは、全然わからなかった。そして、それがわかるまでには数年かかったのである。

どのように稽古の仕方を変えればよいのか、回答は有川先生にあるはずであった。先生は、それまでの稽古法は駄目であるといわれたのだから、どうあるべきかをご存知なのであろう。しかし、先生自身の口からは、そんなことを教えて頂けるはずがない。だから、先生の一挙手一動を見、口に出される言葉を聞き取ろうと努力した。そして、1999年の2月から先生が亡くなられる2003年までは、毎回の稽古でメモを取ったのである。

そのメモを見ると、先生からいろいろ大事なことを教わっていたことが改めてわかる。たくさんある内から、メモ初日(1999.2.24)の教えの例を紹介する。

この教えの一つでも正しくできなければ、技はつかえないはずである。特に、最後の「どんなに腕が太い人の腕も、胴より太いものはない」は、諸手取呼吸法のための最良の教えである。後輩にはこの教えを伝えているし、その後輩の後輩も、後進に伝えていってもらいたいと思う。

合気道が精進できたのは、合気道の先生方だけの教えによるものではない。合気道と直接関係のない多くの方々からも、教えを頂いてきた。それは映像であったり、書物であったり、講演であったり、また直接お会いしてのお話であったりした。

人は多くの方々のお世話になっているのである。年を取ってくると、それがよくわかるようになるものだ。そして、それらの教えを若い世代、後進に伝えることも重要である、と思うようになるのである。