【第43回】 童心と遊び心

人は往々として高齢になると意固地になったり、頑固になり、融通が利かなくなってくる。特に、会社を定年になったあとの男性は、かつての会社での役職や立場を忘れることができないようで、その延長線上で家庭でも社会でも生きていこうとするようだ。そういう人を見ていると滑稽であるが、かわいそうにも思える。

そういう高齢者のところには人は集まって来ない。人が集まってくるのは童心、遊び心をもっている人のところであろう。人は年を取ると童心にかえるといわれる。これが自然なことなのだろう。童心にかえるのは、もはや出世も金儲けも必要なくなるからであり、欲をすてて自分の思うままに生きることができるようになるからである。さらに、自分の死を意識し始めるからである。老いを寂しく思うことにもなるが、それはまた老いを楽しむことでもあろう。また、人間の素晴らしい面とはかない面がだんだん分かってきて、自分の愚かさもわかるし、そうなれば自分を笑うこともできるようになる。

合気道の稽古を続けるにしても、童心は必要である。一生懸命やっても優勝したり、一等賞を貰うわけでもなく、お金が儲かるわけでもなく、有名になるわけでもない。他人から見れば、何の得にもならないことに時間とエネルギーを浪費しているわけである。このように、社会的な概念からすると何にもならないようなことに狂うのが童心である。または、これを遊びということもできるだろう。高齢者になれば、働かないで一生懸命に遊ぶことができるのである。合気道は道楽である。童心と遊び心で合気道を続けて生きたいものだ。