【第427回】 時間が足りないと・・・・

数年前に、長年やってきた仕事を定年で引退したが、ありがたいことに引き続き新しい仕事をやっている。前とは違って毎日勤務でもなく、残業もなく、海外出張もなく、ノルマもない。稽古にも行けるし、論文も書ける、という理想的な仕事である。

そういう訳で、今は仕事と稽古と論文の三足の草鞋を履いていることになる。お陰で、定年後はそれまでにない充実感をもって生きている。

生きている充実感が持てるのは、先につながる生き方をし、その先では自分がどうなるかという楽しみがあることだと考える。私の場合は、自分の合気道の技がどう変わっていくのか、合気道の理合がどこまで解明できるか、ということになろう。80歳、90歳・・・まで生きて稽古している、と想像するだけでわくわくするし、そのために今日も一所懸命にやろうと思う。

年を取ってくると、先人の年配者に興味を抱くようになるものだ。若い時は高齢者よりも同世代の若者(中でも若い女性)に興味を持ったものだが、今は逆である。特に、100歳頃まで充実感をもって生きられた方々、さらに、100歳位まで生きたのに時間が足りない、もっと欲しい、という思いで生きられた方々、が興味の対象である。

最近、そういう何人かの言葉を目にしたので、紹介しよう。

時間が足りない、時間がもっと欲しいといいながら、カッコよくあちらに行きたいものである。

参考文献 『100歳のことば』(日野原重明 PHP文庫)