【第417回】 形骸化

時代が変わると、モノも人も変わってくるものである。それまでなかったモノが現れたり、それまでのモノの姿かたちも変わる。また、人の外見や考え方も変わって来る。

かつて剣道、杖道、柔ら、柔術などは武術であり、相手を制するテクニックを身につけるのが第一の目的であった。だから、敵からのいかなる攻撃をも制し、敵に負けないこと、勝つことが重要で、少しでも強くなるように稽古していたはずである。

しかし、争いを法の下で裁く現代では、敵を自分が制する必要もなく、合気道も相手を倒すために稽古するものではなくなった。

合気道を柔術のように、敵との戦いに勝つために稽古していると、合気道の技は効かないということになり、欲求不満に陥ることになる。技が効く効かないは、敵と自分の間の相対的なものである。だが、それ以前に合気道の技と形を混同していることに問題がある。形を技と思っているのである。

形で人を倒すことは、不可能である。ましてや勝負の稽古をしていない合気道で、オリンピックや国際大会などを目指して稽古している武道家と勝負して、敵わなくても当然であろう。手っ取り早く相手を倒したいなら、他のモノ(空手、ボクシング、柔道、相撲等)をやった方がよい。

形とは、人体にたとえてみれば、骸骨のようなものではないだろうか。骸骨だけではいくらがんばっても、技はかからないだろう。骸骨には肉がついて、血が通わなければならないし、体を制御する頭や心も持たなくてはならない。

稽古とは、骸骨に少しずつ順を追って血肉をつけ、心を通し、頭の脳細胞を活性化するなどして、一人前の合気の体をつくっていくことである、ともいえよう。

骸骨に合気の肉をつけるためには、骸骨を十字に使うとか、陰陽に使う、天之浮橋で使う、遠心力と求心力で使い呼吸力を養成する等など、していかなければならない。

そして、血を通わせるためには、誰にでも平等に与えられ、人の血管にも流れている宇宙の気に感謝するとともに、天の気に合わせた天の呼吸と地の呼吸、潮の干満の息に合わせた息使いをすることであろう。

頭と心もつけなければならないから、脳細胞に宇宙法則をプログラムし、骸骨が宇宙の条理・理合で動くようにしなければならない。それによって、宇宙の心が分かるようになり、宇宙が何を求めているのか、万有万物の使命、合気道の稽古の意味、そして合気道の稽古をどのようにしていくのか、がわかるようになるだろう。

骸骨だけでの形骸化した稽古をしていると、血肉も心もつかず、古事記に言われる「ヒルコ」になってしまうだろう。
たとえそのまま稽古していって、血肉はついたとしても、合気の血肉でなければ進歩は難しい。

心も闘争の心ではなく、万有愛護の愛の心でなければならない。新しい時代の、新しいモノなのである。開祖は会得されていたが、我々には新たな挑戦である。

もし、血肉がつかず、心も通わなければ、後世に骸骨だけを残すことになるのではないかと心配する。そのように形骸化しないためにも、我々世代ががんばらなければならないだろう。