【第405回】 変わることが大事

人はだいたい常に不満を持っているものだが、その根本的な原因を考えてみると、自分は変わっていないし、変わらなかったとか、変わる可能性がない、ということに起因しているのではないかと思う。

人は赤子で生まれて、子供、成人、高齢者へと変わっていく。動物や植物も同じである。日月や星、そして宇宙も、年を重ねるに従って変わっていく。万有万物は変わっていくのが自然であり、そのようにプログラムされているようである。

変わるということは、もちろんよい方向に変わるということである。「よい方向にかわる」ということは、そのプログラムに則った方向ということになる。

今、多くの人たち、特に、若者と高齢者が、生死に関わるような悩みを抱えている。人身事故などと体裁のよい言葉が使われているが、事実は、自ら命を断つ自殺が一日平均100件も発生しているのである。

これらの人身事故の理由はいろいろあって、人それぞれに違うだろうと思うが、その根底にある最大の理由は、自分が(また、ある人やモノ)がこのまま変わらないのではないか、ということではないか、と考える。自分が変わらなかったから、変えられない、変わらないだろう、ということである。

合気道の稽古を長く続けた人が辞めていくのも、自分が変わらなかったし、これからも変わることができないだろう、ということで辞めていくのではないか、と思う。

人は、時と共に変わるように、創造されているのではないだろうか。創造主(神ともいう)は、宇宙楽園建設のために、万有万物に分身分業で生成化育の使命を与えている、というのが合気道の教えである。宇宙が変わっていき、万有万物が変わるのだから、自分が変わらなければ、宇宙や創造主の意志に反しており、不自然であることになる。

年を取ってくる、一年が終わったときに、この一年で自分がどれだけ変わったか、がますます気になるようになる。その一年で新しいことを身につけ、それまでできなかったことができるようになり、知らなかった事を知ることができれば、自分は変わり、この一年もよい一年だった、と思うものだ。それと同時に、次の一年にはどのように変わるだろう、と楽しみになる。高齢者になると、一年の変化の度合いが、次の年の変化のエネルギーになる、といってよいだろう。

これからは、さらに一年単位ではなく、一か月単位で自分の変わり具合をチェックしたいと思う。また、一日一日、そして瞬間々々に、変わるようにしていきたいと考える。開祖をはじめ、これまでの名人、達人と言われた方々は、一瞬々々に己と戦い、克己されていたはずである。そうなれば、人身事故の元をつくる暇などなくなるのではないだろうか。

この世は経済主体で動いているので難しいことだろうが、人がどんどん変わっていけるような社会や世界になるように、家庭や学校で教育をし、合気道でもそのような思想を普及できればよい、と考える。