【第402回】 80歳に向けて

開祖がよく言われていたことだが、武道の世界では50,60歳はまだまだ鼻ったれ小僧、ということである。当時の私は学生で生意気盛りだし、怖いもの知らずの頃だから、そのような言葉には反発を覚えていたものだ。だが、70歳を過ぎると、まったく開祖のいわれた通りだ、と思うようになった。

50,60歳までは、自分はこんなにいろいろな事を知っているし、できるのだから、鼻ったれ小僧などではないし、一人前だと思っていたのである。

だが、70歳を過ぎると、自分の知らなさを痛感する。若い頃は、知識もそうだが、智慧もなかったことが、よく分ってくる。第一、合気道とはなにか、合気とは、気とは、道とは、ということさえわかってなかったし、考えもしなかった。鼻ったれ小僧を脱するためには、知識と知恵をつけていく必要があることになる。

合気道でも、一人前の合気道をするには、知識と知恵をつけていかなければならないだろう。自分は分った、とか、できる、できた、等と思わず、まだまだ合気道のことは知らない、できない、と考えなければならないはずである。

自分はまだまだだ、と思ったところから、本当の稽古ができるようになり、鼻ったれ小僧を脱し、一人前になっていけるのである。しかし、稽古に残されている時間は多くはない。

知識や知恵をつけていくために、合気道では技を練っていかなければならない。そのためには、体を養生しなければならない。けがや病気にならないように注意していかなければならないのである。そして、体を理に合うように使って、技をかけたり、受けを取ったりするだけでなく、体が機能するように、栄養をつけ、水分を取り、深酒などの負担をかけないようにし、十分な睡眠を取るように心がけなければならないだろう。

若かった鼻ったれ小僧の頃には、けがや食べ物、睡眠、深酒などもほとんど気にすることなく稽古していた。これは、鼻ったれ小僧の特権でもあるし、鼻ったれ小僧には必要なことだと考える。若い時に体を労わりすぎるのも問題である。

だが、一人前の高齢者になったら、体を労わることもしなければならない。鼻ったれ小僧の延長でやれば、体を壊し、稽古を続けていくのも難しくなるだろう。大けがをしたり、体を壊したりすれば、再起も難しくなる。ただ、この転換はけっこう難しいようだ。

相対稽古で相手に技をかけるやり方も、変えていかなければならない。若い時分の腕力から、呼吸力や地球の力や宇宙の力など、自分以上の力を使うようにしなけなければならないのである。

これは、諸手取呼吸法からも想像できることである。つまり、初めは腕と腕の力比べであるが、次には相手の諸手の力に対して自分の体幹の力、さらには、腰・腹の力、そしてまた、十字の息と呼吸力など、相手とは力と質が違う力をつかい、それをどんどん昇華させていくのである。

上達に、終わりはない。しかし、実際には上達にも終わりがある。自分が上達したと思ってでき上がったとき、あるいは、稽古を止めてしまう時である。稽古は上達するためにやっている。だから、少しでも長くやらなければならないことになる。

70歳を越えて稽古していくと、年々自分が変わっていくのを自覚する。一年間にわかった事、できるようになった事が、よく分るようになる。そうすると、来年が楽しみになるし、80歳も楽しみになるというものである。
来年も80歳に向けてがんばる事にしよう。