【第399回】 世の中を少しでもよくするために

合気道は武道であるが、合気道の修行目標には二つあるようである。

一つは、「武道とは自己を作る、自己を完成させるところのものである」(武産合気)とあるように、自分のために身心を鍛えることである。

もう一つは、「この世を栄えさせる愛の実行」、「すべての生成化育を守る」、「万有の成長を守る」ことである。この世の森羅万象の生成化育を妨げる汚れを、祓い淨めることである。

本来なら、自己がある程度のレベルまで完成してから、世のために働くのであろう。だが、年を取ってきたせいか、修行のための残り時間が少なくなってくるし、また、自己の完成などあるのかどうか、また、いつになるのか、なども分らないので、そろそろ見切り発車が必要でないかと思うようになってきた。

そうはいっても、できるだけのことしかできないが、自己の完成へ向けた修行と同時に、地球楽園建設のための生成化育を妨げるものを、淨め、除いて、世の中が少しでもよくなるように、努めるようにしたいと思う。もし、合気道家がそれをしなければ、開祖植芝盛平翁は悲しむことになるはずであろう。

先日、大森貝塚を発見したモースが収集した、明治の庶民のくらしの生活道具や写真の展示会があったので、見てきた。当時の人々の顔、特に子供達の笑顔(写真)には、感銘を受けた。当時の庶民は貧しくて、満足に食べることもできなかっただろうし、着るモノもいまよりずっと粗末だったが、そこにはあのような笑顔があったのである。

現代は、モノは豊富で、食べるものも十分にあるが、その笑顔が消えてしまっている。豊かになって、笑顔を失ってしまったわけである。

豊かな世の中にも、笑顔があればよい、笑顔の世の中をつくればよい、とつくづく思った。モノは経済や科学や世の中の動きなどによるわけだから、自分たちでどうこうしようとしても、どうしようもない。だが、笑顔は心の問題であるから、やろうとすればできるはずである。

今の時代に笑顔がないのは、合気道的にいえば、これまで豊かになるために、多くのカスが溜まってしまったからであろう。このカスは、地球楽園建設のための生成化育を妨げるものであるから、取りはらわなければならないことになる。

それではどうすればよいのかということであるが、それは、そのカスを取るために、世の中と自分を見直すことである。合気道をやっていれば分りやすいが、合気道を知らない人にも、それを分って貰うようにすればよいと考える。

まず、人はもちろんのこと、世の中の万有万物は万世一系の家族であることを、認識することである。これは、何度も書いたように、科学である。私とあなたは必ずどこかでつながっている家族なのである。私と隣のポチでも、草花や小石でも、もっと先のどこかでつながっている万世一系の家族なのである。

他人を競争相手や敵と見ないで、家族と思ってみるのである。動植物も、人より下等で、自分には関係ないものだと見るのではなく、仲間と見るのである。

次に、人は誰もが一生懸命に生きていることを認識することである。人だけではなく、小動物も鳥達も草木も一生懸命に生きているのである。そして、大事なことは、自分自身も一生懸命に生きていることを自覚し、誇りに思うことである。子供を育てるのも、立派なことである。ノーベル賞をもらったり、会社を経営したり、地位が高かったり、名を知られているような人たちだけが、一生懸命に生きている訳ではない。みんな地球楽園建設のために、分身分業で各自の役割を果たしているのである。

この二つのことを自覚して、見たり接したりすると、人や動物や草木を愛の目で見ることができるようになり、愛で行うことになるだろう。これが、開祖のいわれている「愛の実行」ではないだろうかと思う。

稽古でも、相手を敵であるとか、倒さなければならない相手などと思わずに、自分の上達を手伝ってくれる協力者や兄弟と見るようになる。そして、相手を少しでも上達させるための愛の稽古をするようになるはずである。

厳しい稽古中に笑顔はないだろうが、心は愛のはずである。それができれば、稽古が終わると、笑顔が出るはずである。

そのような笑顔が一人でも多く出て、また、その笑顔が世の中に少しずつ広がっていけば、世の中は少しずつでもよくなっていくのではないだろうか。開祖もきっと喜んで下さるだろうと思う。