【第398回】 不満とは

人は誰でも、ルンルンと楽しく生き、不満がなく、いつも満足して生きたいと願っているはずである。しかし、現実はその願いと違って、不満の多いものであるだろう。

人が不満を持つ原因にはいろいろあるし、人それぞれに違いがあるし、また、その優先順位も違うだろう。しかし、人としての共通の原因、根源的、宿命的なものもあると考える。

例えば、人の欲望・希望・望みは無限であるが、それが叶えられる現実は有限である。それに、欲望・希望・望みが実力より大きいこともある。人は、このギャップに不満をもつことが多いのではないだろうか。もっと自分は偉いはずだ、もっとお金があっていいはずだ、もっと強いはずだ、等などと思うのである。

また、他者に負けたくない、劣りたくない、という本能も働くようで、他者よりも劣っていれば、不満になる。例えば、同期のあいつが先に昇進したとか、成績が悪いあいつが有名校に入ったのに自分は行けなかったとか、下手なあいつが昇段試験に受かったのに自分は落とされた、等などである。

これらの不満の原因は人の性であるので、人はなんとかその解消に努力したり、そして納得するようにするものだ、だが、それでは納得できないような不満もあるのである。この世で不満がなく、満足だけして生きている人はないだろう。

確かに、この世には社会的、経済的、知性的、健康的等などで、不自由なく生きている人も大勢いる。しかし、彼らにも不満はあるようである。

さらに、不満を持ち、心配事を抱えながら生きている人の多くは、若者達であろう。適切な目標がないとか、希望する仕事につけないとか、結婚できない等など、満足できない人たちが多いようである。

だが、彼らが自分たちの不満がどこからきているのか、どこに原因があるのか、分らないままにウツウツとしているのが、気の毒に思える。もちろん、その原因には、能力、努力、運なども関わっているだろうが、もっと根本的な理由があるように思う。

その理由は、学校でも親兄弟も教えてくれないし、たとえ試験の問題で答えても、正解にはならないかもしれないものである。それは、合気道の教えの中にあるのである。

合気道では、宇宙は宇宙楽園建設のために、138億万年前に宇宙をつくりはじめ、万有万物に分身分業で、宇宙生成化育のための使命を与えている、と教わっている。ビッグバンを起こした最初のポチが、万有万物を創造し、生成化育をくりかえして、宇宙楽園完成に向かわせているのである。万有万物は万世一系の家族として、宇宙楽園完成のお手伝いをしているのである。

この宇宙の意志である宇宙魂と、人の魂はつながっているといわれ、人はその魂の導きによって、分身分業の使命の下、宇宙生成化育のお手伝いをしている、というのである。

仕事をしていないということなら、いうまでもないだろうが、このお手伝いをしていないとか、自分が満足できない仕事をやっている、ということは、宇宙からの使命に合っていないと感じて、満足できないのではないか、と考える。

合気道の稽古人でも、もし、稽古に満足できないとしたら、その稽古が宇宙楽園建設のためのお役に立っていることが自覚できないからだ、と考えてよいだろう。

宇宙楽園完成のためには、分身分業でそれぞれの使命が果たされなければならない。それ故、金持ちの資本家も必要だし、頭のよい学者も要るだろう。美を追求する芸術家も、作家や音楽家も同様である。また、資本家が新たな投資をし、経済を活性化し、世の中を豊かにするためには、働き手も必要であるし、彼らを教育する教育者、働き手が存分に働けるための家族も要る。また、かれらを養うためには農業を営む人、魚を取る人、また、加工、販売する人たちが必要になる。

それぞれが、使命を果たさなければならないのである。みんなが金持ちの資本家になったら、宇宙楽園完成は不可能になるだろう。

ほとんどの人は、自分の使命を実感していないかもしれない。しかし、それでも多くの人が、これが自分の使命であり、天職であると自覚して生きているようである。

今、それが天からの使命であるかどうかわからなくとも、お迎えに来られた最後の瞬間に、それが使命だったのかどうか、そして自分はどれだけその使命を果たせたのか、わかるのではないかと考える。

使命に従ってやっていけば、不満はないのではないだろうか。思ってもみないことをやらなければならない場合もあるだろうが、それは使命を果たすための試練である、と考えればよいだろう。楽をしようとそこから逃げてしまうと、生成化育の道を外れることになるから、不満が残ることになるはずである。

不満が起きないよう、残らないよう、生成化育の道を進んでいきたいものである。