【第389回】 高齢者の合気道

政府の発表によると、65歳以上の高齢者の全人口に占める割合が25%を超えたという。つまり、四人に一人が高齢者ということになった。若者たちの働きにより税が納められ、高齢者の年金まで負担してもらうことになるわけである。若者たちは、自分たちの将来も不安であるし、高齢者に対しても不満があるのではないだろうかと思われる。

高齢者は、若者に対して何かお返しをしなければならないだろう。高齢者が貰うものだけ貰って、貰った人に返さないのは理不尽であるし、そのような理不尽を長く続けることはできないはずである。

結論を先に言えば、高齢者が若者にできるお返しとは、一口に言うと、若者に自分自身も少しでも長く生きたい、と思うようになってもらうことだと思う。少しでも長く生きることがすばらしいことだ、ということを、認識してもらうことである。今は苦労していてもいつかは楽になり、今できなくてもいつかできるようになるとか、今うまくできなくとも年と共にうまくなるし、今わからない事も高齢者になればわかってくる、等などということである。

高齢者は増えているが、合気道では高齢者の姿が減ってきているようなのが残念である。合気道を稽古している高齢者には、自分の稽古の他に、若者に大事なことを伝える役割があるからである。若い稽古人が無意識に知りたいと思っているはずのことや知らなければならないことを、伝えることである。

例えば、

等などである。

若い内は力一杯、全身、全霊をつかって稽古するものだが、誰も自分の稽古に完全には満足していないだろう。先生や先輩など高齢者や上手な人と比べるからではない。やっている事に何かが足りないようだし、何かをやらなければならない、等と感じるだろうからである。

長年稽古をしている高齢者は、●体力や魄力ではなく、見えないエネルギーの気力 ●相手を倒そうとする争いではなく、相手との協調や合一 ●相手を倒す・痛めるのではなく、相手の体をつくったり、技が使えるように導く ●体力や腕力に頼る物質科学でやるのではなく、相手の無意識に働きかけるような精神・心での精神科学でやる ●自分個人の力を過信してやるのではなく、自分以外の力(自然や宇宙)を使う ●相手を投げたり、抑えるのが稽古の目標ではなく、宇宙との一体化が目標になる 
等などで、若い稽古人とは違っていなければならないと考える。

何かを求めて一生懸命に稽古している若者が、このような高齢者の稽古を見たり、一緒に稽古をすれば、そのように変わりたいと思うはずだ。そして、高齢になるのもよいことだし、そうならなければならないと思ってくれるようになるだろう。

これが、合気道における高齢者の、若者への小さなお返しであると考えるし、引いては世間の若者へのお返しにもなることだろう。

また、高齢者が若者にこのようなお返しができるようになれば、自分の稽古にも責任と張り合いができて、稽古を長く続けるようになるだろうとも考える。お返しが自分に帰ってくるのである。まずは、若者にお返し、である。