【第370回】 寸暇を楽しむ

多くの人間が住む社会で生きていくのは、確かに容易ではない。現代は競争社会ともいわれるように、何事も競争に打ち勝たなければ、負け組として生きていかなければならないから、勝とう、負けるまい、とみんな必死で生きている。

なんとか勝ち組に入ろうとして、まず、いい学校に入り、そしていい職場に入ることに戦々恐々とする。また、仕事でも他社に負けないよう、他の社員や同僚にも負けないように、がんばることになる。

就業している間は、競争社会の環境に身を置いているわけだから、他に負けないようにという競争意識の考えをなくすのは容易ではないだろう。

しかし、学校も仕事からも離れて、後期高齢者などになってくれば、競争する必然性もなくなってくるし、先も残り少なくなってくるわけだから、競争意識は捨てて行くようにした方がよいだろう。

競争するのは、大変である。勝つためには精神的、肉体的にも用意周到な準備やプレッシャーが必要だし、負ければその落胆は大変なものだろう。たとえ勝ち残ったとしても、よく考えてみると、後味の悪いこともあるものである。おそらく負けた相手は、もう一度やれば今度は勝つと思っているだろう。本来は、本当の実力による勝ち負けなどないのではないだろうか。偶然や運が勝負を大きく左右している、と思うからである。

他に勝とうとか、負けまい、と思わないようになってくると、楽になる。生きる上でも、また、稽古でも、これまでと全然違ってくるものである。

一つには、他人を競争相手と見ないで、仲間とか兄弟と見るようになり、みんな一生懸命に生きていることを実感するようになる。

二つ目は、これまでは勝負の対象を他に置いていたわけだが、今度は自分自身が対象になることになる。他との勝負ではなく、自分との闘いになり、これまで以上に自分に厳しくなることになる。本格的な合気の稽古は、ここから始まるだろう。

三つ目は、何事も楽しむことができるようになってくることである。楽しいことは心から喜び、ネガティブなこともよい方に取って楽しめるようになるのである。例えば、風邪を引いたとしても、体を休めよという体からのメッセージだから、ゆっくり休むことを楽しませてもらおうと、風邪さえ楽しむようになる。

高齢者になったら、いつでも、どこでも、なんでも、楽しめるようになればよい。子供たちの笑顔やはしゃぐ声、野鳥のさえずり、草花や木々、青い空、稲妻が走る空、日月や星などなど、また食べることや寝ることなど、なんでも、そして寸暇をも楽しむのである。生きているすばらしさを、いつも実感することである。

稽古でも、たとえ苦しくても、痛められても、技がうまく効かなくても、稽古は楽しく、ありがたいと思える。ましてや、稽古が終わった後の気持ちよさには、いつもありがたいと合気道(開祖や先人)に感謝している。

生きることも、稽古するのも、楽しんでいれば笑顔になる。現代は笑顔が少ないし、子供たちの笑顔も大人になるにしたがって消えていくのが残念である。なんとか笑顔に溢れる世の中になってほしい、と願っている。

まずは、我々稽古人が合気道を楽しみ、笑顔をつくって、世の中に笑顔を少しでも増やしていくことだろう。

特に、後期高齢者の稽古人は笑顔になるように、稽古を楽しむべきだろう。いつか笑顔もできなくなるわけだから、今の内に十分楽しんで、よい笑顔をつくっていこうではないか。