【第360回】 長生きしなきゃ

これまでにも武道家やスポーツマンなど、日頃から健康で、病気などしないような人が、意外と早く亡くなってしまうことがあって、不思議に思っていた。

年を取ってくると、身近な先生や先輩や仲間などにそういうことを経験するようになってくる。意外と早い死の原因には、元気な人に特有の理由があるようにも思える。

その理由には次の2つがあると考える。

  1. まずは、自分の健康に対する過信である。若いうちは多少の病気や怪我など気力と体力で吹き飛ばしてしまえるので、年取ってもそれでやろうとするようだ。しかし、ある年齢以上になってくると昔のようにはいかず、突然ダウンしてしまうこともあるだろう。また、食べることにもあまり気を配らず、栄養ということも考えないのも一因ではないだろうか。若いうちはどんなものを食べても、また多少食べない時があっても大丈夫だが、年を取ってくると必要な栄養の蓄積がなくなり、体調を崩すとなかなか回復力が出てこない。それで、思いがけなく早い死を迎えてしまうことになるのではないだろうか。
  2. 次に、特に武道家の場合には、歴史的背景があるのではないかと考える。それはサムライ時代の思想で、どんな時でも敵に後れを取らないようにという考えである。寒かろうが暑かろうが、体調が良かろうが悪かろうが、いつでもどこでも最良の働きができるようにするために、どうしても無理をしたり、がんばってしまうことがある。
    もう亡くなられたが、本部師範だった有川定輝師範も「おれはすこし頑張りすぎた」と言われたそうだが、このようなことかも知れない。
長生きするためには、年を取ってきたら、これまでの考え方ややり方を変えていく必要があるだろう。稽古を続け、精進していくためにも、食べること、休むこと、無理しないこと、頑張りすぎないこと等が大事になるだろう。いつまでも若いつもり、サムライのつもりで稽古したり、生きていくのでは、長生きは難しくなるだろう。

また、稽古の目標や生きる目標を、若いころの自分主体から、後進や人類のために変えていくことも必要であろう。

もし、自分のためだけに稽古をし、生きているとすれば、たとえ早死にしても、本人だけのことであり、とやかくいう筋合いではない。

しかし、開祖の言葉に従って稽古に精進しているなら、稽古は宇宙生成化育のためにやっているはずだから、少しでも長く生きて、その役割を果たすべきだと考える。

人はせいぜい100年間くらいしか生きられないので、人が死ねば、次の人がその人の残した遺産を引きついで、それを次の後進や世代に受け渡す、を繰り返している。だが、もし例えば合気道の技や思想などを深く掘り下げ、身につけた先生や先人が、60、70歳などで早死にすることなく、80、90歳までご健在なら、さらにすばらしいものを身につけられ、われわれ後進にそれを遺産として残して下さったはずであろう。そうすれば、われわれ後進は、その残された遺産のところから探求していけばよいわけだから、その分をさらなる探求にふりむけ、後進に遺産としても残すことができるはずである。

今さらどうしようもないが、恩師や先輩の先人が少しでも長生きしてくださっていたら、もう少し多くのことを教えていただけたのではないか、と残念に思うのである。

高齢者になれば、自分のためだけではなく、人類のため、宇宙生成化育のために生きなければならない。従って、健康にも注意し、少しでも長生きするように精進していかなければならないと考える。