【第351回】 今を楽しむ

若いうちは、主に将来のために生きているとも言えるだろう。今は大変でも、将来のために今は我慢して、がんばろう、等とするはずである。勉強などはその典型的なものであろう。もし、試験勉強や受験勉強を楽しんでいる若者がいたら、驚きである。大方の若者はそれをやることによって、将来の道が開けると思うから、我慢してがんばるのではないだろうか。

年を取ってきたら、原則的に今を楽しんだらいいだろう。もう将来のために、楽しみを我慢する必要はない。先はあまりないだろうし、いつお迎えがくるかわからないのである。

今を楽しむとは、自分の過去の失敗や煩わしさにとらわれず、そして自分の将来にもあまり期待せずに、今を楽しむのである。

楽しむとは、今やりたいこと、今自分がやるべきと思うこと、今気がついたことや気になることを、一生懸命にやることである。付和雷同的な、浮わついた楽しみ方ではなく、第347回の「楽しむ」にも書いたように、有川師範の合気道のモットーである道楽の「楽しむ」である。

つまり、一生懸命になっている自分を、自ら楽しむのである。失敗したらとか、やる意味があるのかとか、それをやる能力がないのでは、等などを気にせずに、挑戦することである。

この挑戦すること、挑戦できることが、幸せなのである。幸せと思えば、その挑戦を楽しめるはずである。健康だから、自分にまだ時間や経済的や心の余裕があるから、挑戦できるのである。一生懸命やってうまくいくかどうかは、先の、未来の話である。そんなことより、今を楽しんだ方がよい。

今は、過去と未来につながっている。過去が無く、未来もない今は、ないだろう。つまり、今を生きることは、過去と未来に生きることになるわけである。従って、今を楽しむことは、過去も未来も楽しむことになる。

ただし、今が過去と未来につながるためには、今と過去と未来をくっつける接着剤が必要だろう。その接着剤は、今を一生懸命に楽しむことだろう。

一生懸命にやっても、なかなか思うようにいかない時でも、自分の馬鹿さ加減、その難問との偶然的な出会い、難題と苦戦する姿、難題を克服できたときの想像上の嬉しさ、難題を解決できなかった悔しさ、等などを楽しめばよい。

今を楽しむことができれば、瞬間々々を楽しめることになるし、毎日を楽しみ、そして、楽しい人生を過ごせることになるだろう。

親や学校にこのようなことを教わっていたら、などと言うのは愚痴になるだけだし、教わらなかったからこそ、自分で考えることになる。だから、これを楽しむことにすればよいのである。愚痴をいっても仕方がないだろう。なんでも楽しむことにしよう。