夢にはいろいろあるようだが、それも人によって違うだろう。その上、ひとりの人でも時期によって違うし、変わってくるものだろう。
6億円の宝くじに当たることを夢見る人もいるが、金があり余っている人や物心つかない幼児などは、そんな夢は持たないだろうから、夢とはならない。
夢には、大きい夢、小さい夢、直近の夢、遠い夢、宝くじのような神頼みの夢などの他に、できるかどうかわからないが、できることを夢見る夢がある。
その典型的なものが、合気道の修行だろう。それは、合気道の修行の最終目標である、宇宙との一体化に至ることである。合気道や開祖を知らない人が聞けば理解できないかもしれないし、そのような夢は絶対不可能だろうと思うことだろう。
しかしながら、合気道をつくられ、ご自身でもその目標を達成された開祖がいわれるのだから、その夢を達成できる可能性はあるはずだ。
夢を持つということは、自分がこうなったらよいと思うことだろう。つまり、自分が努力し、運に見放されなければ、達成可能なものを志すことであろう。例えば、鳥のように飛べるとよいという夢などは、真の夢ではなく、実現性のない空想である。
ここでの夢は、できるかどうかわからないから、やるということである。できることが分かっていれば、やることもない。それでは夢にならないからである。夢を持ち、夢を追い続けるのは、容易ではないだろう。夢を追い続けても、途中ではいろいろな妨害もあるだろうし、自分自身の中の悪魔の声がそれを阻止しようとするかも知れないからである。
夢を持ち続けることは、よいことである。たとえ最後まで夢が叶わないとしても、後悔しないどころか、最後にはきっと追い続けてよかったと思うはずだ。
夢が実現することを目指すのは、自分に健全なストレスをかけることにもなる。夢が実現できるかどうか、不安であり、怖いし、それがストレスになるだろうが、それが心地よいし、生きているという実感があるはずである。
悪魔の声に惑わされず、失敗を恐れずに、その失敗を踏み台にして、夢に向かうことである。
夢がないのは、なんとも寂しいものだ。夢のないところに、未来はないだろう。ひととしての個人にも、会社にも、国にも、夢は必要である。もちろん、合気道の修行者にも夢がなければならない。
夢を実現することは、自分を変え、日本を変え、世界を変えることであり、そして、宇宙楽園建設のための宇宙生成化育のお手伝いをすることになるはずである。
夢を持ち、そしてそれを持ち続けていきたいものである。有川先生の言葉が耳に残る。「人間諦めたら、そこで終わりだよ。」