【第335回】 ほとんど何も知らない事がわかってくる

若い頃は誰でもそうだろうが、自分は何でも知っている、知らないものなどない、と思っていたものだ。年を取ってくると、だんだん自分の知っている事などほんの少しで、世の中の事をほとんどわかってない、と思うようになってくる。

古希を過ぎると、ますますその傾向が大きくなってくるようだ。テレビを見ていても、世界の地理、歴史、人物等など多くは知らないのはよいとしても、日本の事もほとんど分かってないことに驚き、落胆する。

これまで多くの人たちが、われわれ後進達に多くのものを残して下さっているが、そのほとんどのものや、それを残された人たちのことを知らない事に、恥ずかしさを覚える。画家、音楽家、作家、芸能家、思想家、哲学者、科学者などなど、自分が知らなくても、我々人類のために偉業を残された人たちが沢山いることが、だんだん分かってきたのである。

世の中のことをすべて知るのは、どんな天才にも不可能であろう。とすると、人は知らない事があってもよいということだろう。しかし、これは、人は知らなくてもよいということではない。すべてを知らなくてもよいが、知るべき事は知らなければならない、ということだと考える。

人類は数百年前に出現してから今日まで、営々と生存し続け、そして未来に向かって進んでいる。各自ひとりひとりが空間と時間の4次元で、網の目のように繋がりあっている。人はみんな、どこかで繋がるはずである。これを開祖は、人類は家族であるといわれているのである。

この網の目ひとつひとつがその人の使命(やるべき事、やったこと)と考えてみると、大きな網や小さな網、活発な網や死んでいる網もあることだろう。

この時空を超える網は、どんどん大きくなっていく。新しい人たちが誕生し、新しい発見があり、新しいものができていく。それが、これまでの網に加わっていくので、拡大発展するのである。

この網は、ある目標に向かって拡大、進化しているはずである。その目標は、開祖がいわれる「宇宙楽園建設」であろう。この目標に合ったものをつくる人とものを、人は評価するが、それは宇宙の意志に沿ったものだからであろう。

ものを知らない、世の中を知らないというのは、自分を知らないからではないだろうか。ものを知る、人を知るためには、まず自分を知ることであろう。自分が分かった程度に他が見えてくるし、他を知ることができるようだ。自分がより分かってくるに従い、これまで知らなかった人やものに出会うようになる。

世に評価され、名を知られているような人は、人類に役立つすばらしいものを残し、自分の使命を果たしただけでなく、自分をよく知りつくしていたのであろう。

世の中の事を知ろうと思えば、テレビや映画やインターネットを見るのもよいが、それよりも自分をどんどん深く掘り下げていく方がよいと考える。自分の使命を果たしたり、自分の好きなものや得意なものを、深くやることである。

人は自分自身のことも、ほとんど何も知らないものである。自分の体がどうなっているのか、自分は何者なのか、どこから来てどこへ行くのか、何のために自分はここにあるのか、使命は何かなどなど、ほとんど知らないだろう。

世に名の知れた人たち、使命を果たした人たちは、それを知り、自分を知ったはずである。もし、自分が自分を知らなかったり、自分を深く考えたこともなければ、自分以上のレベルの人やものとの出会いは難しいだろうから、世の中の事を知らないことになるだろう。

何も知らないというのは、結局、自分自身をほとんど何も知らないことから来ているようだ。自分の使命を果たすように努めたり、やりたいことに集中するなどして、自分をもっと知り、いろいろな偉人やすばらしいものに出会えるようにしたいものである。