【第330回】 適度な緊張

定年になって仕事を離れ、仕事からのストレスからも解放されて、働いて建てた家に住み、子供も大きくなっていれば、年金で暮らしていけるようになり、夫婦二人で悠々自適な暮らしができる。

食べることや住むことなどの心配もなく生きていくのが、たいていの人の理想であり、働いていたときの夢であろう。

今、街にはそのような悠々自適の高齢者を多く見かける。だが、みんながみんな幸せな顔をしているように見えないのが残念である。せっかくの理想の生き方をしているのだから、満足し、喜びに満ちた顔をしてもよいはずである。

人は欲しいものを手に入れ、義務や強制から解放されて、必要な財産があり、時間を自由につかえることを目指すようだ。だが、自分がその状況に入ってしまうと、一時的には満足し、幸せだと思うだろうが、その幸せ感は長続きしないように思える。

人が満足し、幸せを感じるのは、いろいろあるだろうが、何かに挑戦しているとき、そしてその挑戦が功を奏した時であろう。挑戦とは、できるかどうか分からない事へ戦いを挑むことであるから、緊張感があるはずである。

高齢者が、生きているという実感を持ち、生きている幸せを実感していくためには、挑戦することによる緊張感が必要なのではないだろうか。

高齢者の挑戦は、自由で、自主的なものであるのがよい。本来ならやらなくともよいことであるから、会社や他者からのものではなく、自分自身が決めるものである。やらなくてもよいことをやるから、おもしろいのである。やるべきことをやるのは、あたりまえであろう。

高齢者の挑戦とは、自分に対するものである。これが仕事のときとは違う。働いていた時の挑戦は、仕事に対する挑戦であり、会社のための挑戦だったはずだ。

高齢者は語学に挑戦したり、科学や歴史を勉強したり、囲碁将棋やチェスに挑戦したり、ダンスに挑戦したりして、自分の活動範囲を広げたり、自分の眠っている能力を活性化させるのがよいだろう。

高齢者が挑戦するのにふさわしいものとして、合気道がある。適度な緊張を伴う合気道は、高齢者が挑戦するのにお勧めである。試合がないので、無理をしないし、自分のペースでできるはずである。

ただ、注意しなければならないのは、慣れてくると、緊張感を持たないで稽古するようになりがちなことである。それを避けるためには、常に何かに挑戦し続ける稽古をしていかなければならない。