【第322回】 地に足をしっかりつけて進む

現代はますます忙しくなっている。若者だけでなく、高齢者も忙(せわ)しくなくなってきている。高齢者は若い頃にもどるのか、それとも若者に負けたくないのか、わからないが、忙しなく街を歩いたり、階段を駆け上がり駆け降りたり、赤信号で横断したりするのが目につく。

数年前、トルコのイスタンブールの街を悠々とゆっくり歩いていた老人たちを思いだす。イスタンブールを歩いていた老人たちは、威厳に満ち、生きていることの意味を悟り、生きている有難さに感謝しているように思えた。そのテンポや雰囲気は、悠久を楽しむかのような水煙草文化にしっくり合っていた。今や日本ではキセルで煙草を吸う人はいなくなっただろうが、水煙草をゆったりと満喫できる、余裕のある人もいないのではないだろうか。

高齢者の大半は、65才以上で仕事を引退した人である。豊かな人生の経験者であり、反面、残り少ない人生を有している人である。これまでは、忙しい世の中をわき目もふらずに働いてきたわけだから、一度、今までの人生を見直してみるとよいだろう。

おそらくいいことも悪いこともあっただろうし、不思議なこと、偶然の出来事もあっただろう。その摩訶不思議を思い返したり、それに感謝することも、大事だろう。自分が今、ここにある不思議、なにかに助けられ導かれた、ということが実感できるだろう。そこからさらに、いろいろなことが学べるはずである。

また、これから先のことも考えるだろう。残り少なくなっていく時間をどう生きていくのか、最後の瞬間に思い残すことがないようにするために何をなすべきなのか、を考えなければならないだろう。

ただ忙しく歩きまわったり、稽古しているのでは、得るものは少ない。合気道の道場での稽古でも、忙しくなってきているように思う。忙しくなる世の中なので、仕方ないかもしれないが、高齢者はもっとどっしりとやっていきたいものだと思う。合気道は武道であることを再認識して、稽古すべきだろう。

どっしりと生き、しっかりと稽古するためには、気持や身体が浮ついていてはならない。地に足をしっかりとつけなければならない。歩く場合も、相対稽古で技をつかう場合も、地に足をしっかりつけなければ、しっかりと歩けないし、うまく技はかからないものである。

地に足をしっかりつけるためには、体重移動により前足に体重をかけなければならない。体重移動は呼吸にあわせて行うべきである。逆にいえば、体重移動が滑らかでなく、呼吸にあわせて進めなければ、忙しく動くことになってしまう、ということだろう。

もちろん、もっと大事なことは「こころ」「気持」である。これまでに感謝し、残りをゆったりと生きていこうという気持であろう。