合気道を始めるにあたっては、誰でも合気道の何かに魅かれて入門したはずである。しかし、たいていの入門者はおそらく、合気道に魅かれたものが何か、明確には意識できてなかっただろう。
長年稽古を続け、年を取ってくると、なぜ合気道に魅かれたのかが分かってくるようになる。今までぼうっとしていたものが意識に上ってきて、これこそが自分を合気道に導いたものかということが分かってくるし、やはり合気道を続けてきてよかったと実感するものだ。
合気道は科学であり、哲学であり、宗教であり、そして武道である。合気道は非常に多面的であり、人間として、必要とするものすべてを与えてくれることができると考える。人がどこから来て、どこに行こうとしているのか、人の幸せとはどういうことなのか、罪とはなにか、なぜ争いが起きるのか、争いを起こさないようにするにはどうすればよいのか等など、学校でも家庭でも社会でも教えることができないことを知り、身につけていくことができるのである。
合気道の修行には、これで全部やったなどという終わりはない。やることは、無限にあるからである。やることは、我々人間ができるためにあるわけではなく、宇宙(時間と空間)創造から宇宙生成化育のために、無限にあるのである。そのあるものを、我々人類は見つけ、会得し、使わせていただくわけである。それらは自分の肥やしになるものであるから「知恵」ということになろう。つまり、合気道はこの宇宙の知恵を身につけていく武道であるといえよう。
宇宙の知恵は無限にあるが、人の寿命、そして合気道の修行寿命も、有限である。一人で宇宙の知恵を完全に会得することは、決してできない。しかし、人として宇宙の知恵を少しでも多く頂いていくことが、我々稽古人の務めであると考える。
そのために大事なことがある。