【第307回】 科学や時代が進化しても

人は時代が進むと、それと共に自分も進化していると思っているのではないだろうか。ジェット旅客機、新幹線、ハイブリット車や電気自動車などに乗り、アイフォンやタブレットを扱い、電子メールやスカパーで世界と通信をしていると、自分もそれ以前そのようなものが存在しなかった頃の人間より進化していると思うようである。しかし、人はそれほど変わってはいないだろう。

人が本質的に変わらないことは、稽古していれば痛感するはずである。時代が進化しても自分や人は変わらない、というのは逆で、時代や社会が進化すればするほど人には退化するところがあり、進化と退化を差し引きしたトータルは、退化の方が大きいように思える。

例えば、交通機関が発達したことにより、人の体が相当退化しているであろうことは、明治大正時代の一般人の写真を見れば一目瞭然であろう。

肉体だけではなく、感覚(美的感覚、味覚、臭覚、直感等など)や感情(やさしさ等)も退化しているところが多いだろうし、トータルでは退化に軍配があがるように思える。

多少は、以前分からなかったこと、見えていなかったもの、できなかったことなどが解明され、多くのことが可能にはなっても、本質的に人は変わってないはずである。

携帯電話、アイフォン、電子ブックなどなどをやっているから、時代の先端をいっており、自分が進化している、というわけではない。時間的にも経済的にも余裕があるような高齢者が、外で得意げに携帯で大声で話をしていたり、電車の中でCDプレイヤーを聞きながら居眠りしている姿をみると、そのギャップがおかしいし、高齢者の焦りが見えて気の毒にも思える。

時代が変われば、人は変わる。時代が進化すれば、自分も進化しなければならないだろうが、合気道的にいえば、自分が進化することによって、時代、社会、世界等などを変えなければならないはずである。

だからといって、ジェット機やロケットより早いものをつくり、携帯電話やアイフォンよりも便利な通信道具をつくらなければならないということではない。つまり、合気道の精進を通して、人及び世界の進化とはどういうことか、どうすれば本当の進化ができるかを、世の中に示すことであると、開祖はいわれているはずである。

合気道で進化するということは、肉体(魄)と心(魂)の精進である。宇宙、万有万物はある目標に向かって進んでいるということであるから、その目標に向かい、その目標に一歩でも近づけば、進化したことになる。

進化するということは、合気道では地上楽園の建設、宇宙生成化育といわれる。まずは、その目標を持つことが進化のためのスタート時点であり、その目標に向かって一歩一歩近づくように精進するのが、進化ということになろう。どんなに高性能な原子爆弾や殺人兵器をつくっても、宇宙が向かっている目標への道にはないはずだから、真の進化とはいえない。

自分の肉体と心を鍛錬していけば、進化している社会や世界とも調和することができるはずである。自分の肉体と心の精進なくしては、社会の進化の圧力に押しつぶされ、牛耳られてしまうことになるだろう。

科学や時代や社会や世界が進化しているように見えても、惑わされずに自分の進化に精進すべきだと思う。ますますの合気の精進をしたいものである。