【第301回】 信じる

誰でもそうだろうと思うが、私の若い頃はなんでも素直に認めることができず、目に見えないモノ、体験したことがない事、未来や過去の事などなどを疑ったものだ。

だが、疑うことは自分の性格や年のせいだけではなかったようだ。つまり文化や教育からも大きい影響を受けたため、疑うようになったと考える。

特に、若い頃には科学的でないものは疑うべしと学校でも社会でも教えこまれていたし、自分でもそう思いこむものである。科学の基本は疑うことである。あらゆる疑いが晴れてはじめて、科学として認められるわけであるから、それまでの考え方にとってまったく新しい事や、目に見えない抽象的なモノを認めにくい傾向にあるのが、若者であり社会であっただろう。

私が入門してから5,6年間は本部道場へほとんど毎日通っていたものだが、開祖もご健在で、よく道場に出て来られて、稽古されたり、技を示されたりしたが、お話もよくされた。しかし、そのお話は、神様や古事記など非日常の世界のお話で、我々稽古人にはおそらく誰にも理解できなかったのではないかと思う。

どのくらい難解だったかというと、『武産合気』に書かれたことを考えればよい。この何度読んでも難解な文章を、耳で聞くのである。例えば、「まず天之浮橋に立たなければならない」「天之御中主の神にならなければならない」「合気は〇(まる)に十(じゅう)である」「天の村雲九鬼さむはら竜王」「合気道は赤玉、白玉、真澄の玉」「正勝吾勝勝速日」などなどである。

その分からないお話を正座してお聞きするわけだが、それも苦痛であったので、開祖のお話をお聞きするのを極力避けようとした。しかし、今ではそれは全く不謹慎であったと反省しているし、また、もっと開祖のお話を聞いておけばよかったと後悔している。

開祖のお話を苦痛に感じたり、避けようとした最大の理由は、開祖の言われたことを完全に信じられなかったことだと思う。当時、開祖の言われたことを素直に信じることができていれば、足の痺れも厭わずに、一声一語聞き逃すまいとしたはずである。もちろん、今だったらそうするだろう。開祖を信じているからである。

若い頃は、先ずは科学的に疑ったが、年を取るにつれて、今度は科学を疑うようになった。科学が完全であるとか正しいということはない、ということがわかってきた。そこで、物事を半分疑い、半分信じるようになった。見えないモノは見えないが、見えないから無いと完全に否定しないで、半分はあるかも知れないと思うようになるものだ。

そしてまた、半分の疑いは、自分の無知、狭い心などに依ることが分かってくるし、疑っていいものと疑うべきではない事の区別がついてくる。信じるものは、疑わず、素直に信じなければならないと思うようになる。

合気道を精進するものは、合気道をつくられた開祖を信じなければならないだろう。そうしなければ、合気之道に乗れないし、進むこともできないはずである。開祖は道を示し、道への乗り方、道の行く先である目標を教えて下さっているのである。そのお示しの仕方は我々には難解であるが、開祖は我々に何とか教え、伝えたいと念願していたはずである。後は、各自の努力で進んで行くしかない。

それを信じ、開祖の教えを、開祖が書き残され、言い残された書物『武産合気』『合気神髄』を何度も何度も読み返しながら、技の鍛錬をしていくべきだろう。