【第289回】 高齢者で頑張る

日本では65歳以上が高齢者といわれていて、人口に占める割合は現在では5人に1人、40年後には3人に1人と、急速に増え、少子化と合わせて社会問題になっている。

ちなみに、高齢者は、65〜74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と、世間では区別するが、一口に言えば生産活動から引退し、年金や財産を柱として生活している人ということになるだろう。

人を年齢で区別するのは、国や社会では必要であろう。それがなければ、学校や年金の制度や運営ができないだろうし、政治政策や経済政策も立てられないだろう。だから、国民はこの年齢のシステムの中で生きていかなければならない。

しかしながら、人は高齢者になったからといって、心まで老人になることはない。役所の書類に65歳、70歳と書いても、年と比例した人間になる必要はない。

肉体的には多少ガタもくるだろうが、気持まで体のガタにお付き合いする必要はない。気持は老人にもなるが、若者にも子供にもなれるだろう。

逆に、気持が若くなれば、体も若返るはずだ。なぜなら、これが合気道の教え「魂が魄の上にくる」ということになるはずだからである。

高齢者になって、年だから体が硬いとか、動けないなどと言っているのは、大体の場合、自分自身で暗示をかけているだけで、年のせいではない。全くもって、年さんに失礼である。

年さんには、役割がある。人に年を与え、高齢者には役割を与えているように思える。

年さんは、人に80年、90年を与えることで、それぞれの物事を達成させようとしているようである。50,60年では、植芝盛平翁が常々いわれていたように「鼻っ垂れ小僧」に過ぎないだろう。まだまだ学ぶことがあるし、沢山吸収しなさいということだろう。

70歳ぐらいになるとそろそろ自分のこと、世の中の事などがおぼろげながらわかってきて、一人前になってくるようだ。武道では80歳、90歳になってはじめて、達人、名人と呼ばれるようになるのである。年も大事である。

物事を達成しようとしたら、どうしても年さんのお世話にならなければならないようである。だから高齢者で頑張らなければならないのである。