【第280回】 みんな家族

現代は、物質文明の競争社会である。他を自分より上か下に見ようとする社会である。また、モノやお金を持った者が、それを持たない者を牛耳る社会であるといえよう。それ故、人はモノやお金を少しでも多く得ようと、他人を押しのけたり、他の大事なものを犠牲にしてでも得ようとする傾向がある。

それ故、自分は他人に負けないよう、グループは他のグループに負けないよう、会社は他の会社に負けないよう、他より上になろうと、一生懸命になっているから、学校でも社会でも他とは競争相手であり、敵という見方をするようになってしまったようである。

別世界の合気道の稽古でも、そういう競争意識はまだまだ大きく働いているようだ。武道は、本来は命のやり取りのための術を習得する武術の流れをくんでいるので、稽古相手を敵と見なし、敵を倒すことが目的ということになるので、合気道でこの勝負意識や競争意識をとり除いて稽古するのも、容易ではないはずである。

私が合気道を始めた頃は、稽古は常に相手との戦いであり、勝負であったと思う。相手にやられないよう、相手をなんとか屈服させようとするのに一生懸命だったようだ。お陰で、多い時には三日に一度は稽古中に争いになり、「表にでろ」ということになったものだ。しかし実際には、表に出ることもなく、その争いはおさまったものの、争いの絶えない稽古をしていたものだ。だが不思議な事に、喧嘩になる寸前まで争い揉み合った相手ほど、仲のいい稽古仲間になれたのである。

もちろん道場にはこちらが歯が立たない、強い先輩方もいた。参った、敵わないと思ったら、素直に教えを乞い、教えてもらった。

開祖は「合気道とは、世界を和合させ、人類を一元の下に一家たらしめる道である。」と常々言われていたが、当時は道場の稽古相手も稽古人も勝負相手であり、とても一家族とは考えられなかった。しかし、年を取ってくると、この開祖の言葉の意味が少しずつ分かってくるようである。

年を取ってきたせいか、稽古を長くやってきたせいか、相対稽古での稽古相手は、もはや敵ではなく、こちらのサポーターであり、分身と考えられるようになってきた。自分の考えを試し、その善し悪しを現わしてくれるし、自分と結んでしまえば、自分の体の一部となってくれるからである。自分の分身を敵視したり、痛めるのは愚かなことであるから、相手を大事にする。つまり、愛で扱うということになる。

街中や家の近所で、多くの子供たちを見るが、子供たちの笑顔や笑い声はかわいらしいし、魅力的だ。こちらの硬い表情も固い心も和らぐ。そして思うのは、この子供たちのためによい世の中をつくり、残してあげなければならないということである。少なくとも、今のかわいい子供たちが大人になっても、今の笑顔があるような、楽しく笑い合える世にしてあげたいものである。

開祖は、一元の大神から宇宙ができ、宇宙の万有万物ができたと言われているから、人は誰でも遡れば、すべてこの宇宙創造主である一元の神に結びつくことになる。つまり、人はみな、一元の神の元では家族ということになる。

そして、人はみな家族という目で人々を見ると、それまでのように、競争者とか赤の他人と見ていたときと違って見えてくる。家族に対するような目、愛の目でみるようになるようだ。

この愛の目で稽古相手を見て稽古をするようになると、稽古は変わってくるはずである。相手の立場に立って、相手が怪我をしないよう、また、自分の上達だけではなく、相手も上達するように、技の練磨に励むようになる。相手の関節のカスを取ってあげたり、筋肉を精一杯伸ばしてあげたりするのである。

相手ははじめびっくりするようだが、多少痛いのも自分のためにやってくれているのだとわかると安心するし、後で気持がいいので感謝することにもなる。痛くしないようにしっかり抑えなければ、相手の為にはならないから、愛に欠けた稽古ということになる。

合気道の稽古を通して、稽古相手や稽古人は宇宙家族であるということが実感できれば、その目で子供たちや世間の人々も家族として見てみるとよい。これまでとは違ってみえるはずである。それまでしかめっ面をしたり、暗い顔で見ていたのが、笑顔でにこにこ見るようになる。

それを今度は、日本人だけではなく、外国の人々に対しても家族として見られるようになれば、世界大家族ということになろう。国が変わっても国籍が変わっても、どんな人も家族と思えば、競争や比較の対象としてではなく、家族愛からみるようになるはずである。

これが、開祖の創られた理想の合気道ではないだろうか。開祖は「みなそれぞれに処を得させて生かし、世界大家族としての集いとなって、一元の営みの分身分業として働けるようにするのが、合気道の目標であり、宇宙建国の大精神であります。」と言われている。

ずっと遡っていけば必ずどこかで繋がっている世界大家族という事を、世界中の人々が意識するようになれば、"家族"同士の戦争などはばかばかしくなるだろうから、戦争などの争いもなくなるだろうし、足の引っ張り合いも無くなるだろう。そうすれば、みんながにこにこして暮らせるような世界になると期待している。