60歳以上の高齢者ともなるとだんだん死を意識しはじめ、これまでの人生を振り返ったり、残りの人生をどう生きたらいいのか考えるようになる。
昔を振り返ると、子供の頃、学生時代、会社人間であった頃のことを思い出すが、あっという間の出来事だったように思える。豊臣秀吉が言った、「難波のことも、夢のまた夢」がよく分かるようになる。
合気道の稽古を40数年やってきたが、今思うとばかげたことも沢山やったし失敗もした。しかし、やったことや失敗したことは後悔しないが、やらなかったことは後悔するようである。高齢者としての残りの時間は、後で後悔しないように、やりたいと思うことをやり、少しでも多くのものに挑戦していきたいと思っている。
高齢者になると、これが自分の使命ではないかといった、自分の使命感を感じるようになってくる。そしてその使命のためにこれまでいろいろなことをやってきたのではないか、今までやってきた事はすべてがその使命に結びついているのではないかといった、不思議な気持ちになる。また、そのためにこれまで生かされてきたのではないかとも思うのである。これまで、何度か死んでも不思議ではない状況があったが、奇跡的に助かった。多くの人との出会いがあり、いろいろなことを教わって身に着けてきたが、それがこの一つに繋がってくるようだ。そんなことを考えると、人は各自、ある使命の為に生かされているのではないかと思えるのである。
開祖のように人類のため大きな使命を担った人もいれば、医者として人助けをする人、企業家として企業を起こしたり維持・発展させる人、子供や家族を守り育てるような使命の人など、千差万別の使命があるだろう。使命感をもてる人は幸せである。他のものに見向きもせず、迷わずそれに集中して仕事が出来るのはよいことである。