【第269回】 一生懸命

人はその時、その所で、一所懸命に生きていくことは大事である。それを生きている間続けていくのが一生懸命ということになるだろう。

しかし、人間は寿命があるし、体力や気力には限界があるから、すべての事を一所懸命にやることは難しい。自分で大事と思うことを一所懸命にやればよいし、それしかできないだろう。だが、なにが大事なのかを間違えると、悲劇である。世の中を見ていると、意味のないと思われることに一所懸命になっている人が多いし、また逆に、一所懸命やるべきだと思われることをやっていないような人も、多く見受ける。

一所懸命にやるということは、短期決戦であるが、一生懸命の重要な要素ということもできよう。人生には短期決戦に打克つために、一所懸命やらなければならないことが度々あるだろう。希望の学校に入る、就職活動、結婚、昇進、仕事の成功などなどである。

合気道の稽古も、毎時間、一所懸命やらなければならないが、一所懸命で一生懸命になるようにしなければならない。 

合気道の目指しているものは遠い遠いところにあり、とても到達できるものではないようなので、できる事は、その目標にいかに少しでも近付くかである。そのためには一所懸命に稽古をすることと、少しでも長く稽古を続けていく事である。つまり、一生懸命に稽古をしていくことである。

人は、自分は一所懸命稽古しているはずだと思っているだろう。自分でそう思っているのだから、他人がとやかくいう必要はないが、5年や10年で稽古を止めてしまうのは、本当に一所懸命稽古したとは言えない。もちろん一生懸命の稽古でもない。

一生懸命に稽古しているかどうかは、自分で判断すればよいわけであるが、次の三つのことでも判断できるだろう。

一つは、途中で稽古を止めてしまうのは一所懸命にやっていなかったことになる。稽古を止める最大の理由は、稽古への意欲がなくなることであろう。やりたい事がなくなってしまったのだろう。一所懸命が十分でなく、足りなかったわけである。

二つ目は、大事なところで一所懸命やるのはもちろんだが、それ以外の時、所でも、常に一所懸命やることである。寝ても覚めても、探求していくことである。

三つ目は、一生懸命やるつもりで、一所懸命にやっていると、それを何かが助けてくれたり、導いてくれたりするようになるはずである。それがない内は、まだ、一所懸命が不十分だろうから、一生懸命やるつもりで、もう少し一所懸命頑張る必要があるだろう。

この何ものかの助けと導きがくるまでは、さらに一所懸命に続け、そして最後に、一生懸命やったと満足したいものである。