【第266回】 次の目標に向けて

人は自分自身だけであって、他人が入り込むこともできない。だから、人は他人のことはわからず、想像するしかない。しかし、人は違っているところもあるとはいえ、おおよそは似たり寄ったりのはずである。だから、他人を想像したり、他人も自分とそう変わりがないだろうと思っても、それほど間違いではないだろう。

古希を期に、これまでの自分をちょっと振り返ってみると、幾つかの転換期があった。そこで、生きる考え方が変わってきたように思える。おそらく誰でもそういう体験をしていると思うが、自分の体験をここにまとめてみたい。

生きるということを自覚し、興味をもったのは中学校3年生の頃だったろう。体は大人の仲間入りをしているのに、精神はまだ子供というアンバランスの時期であり、私にもそれなりに生きる上での悩みがあった。だが、相談する人もなく、孤独で、世間から見放されているように思っていたものだ。

そのため、「なぜ、こんなに悩まなければならないのか」と考えていた。ある時、暗くなってきたので、クラブ活動の練習を終えて空を見ると、星が沢山光っていた。そこで、はっとした。宇宙には無数の星があり、地球もその内のひとつであり、その上に自分がいる。その星の一つにすぎない地球上の小さな人間の悩みなど、ゴミよりに小さいではないかと思ったのである。そして、自分の悩みなど大したことではないと思うようになった。

この数日後、練習後の帰宅する道すがら星空を見ていると、自分は確かに小さいが、もし自分がいなければ、星や地球がどんなに大きかろうが、また、あろうがなかろうが、自分にとっては同じことではないか、と思ったのである。それなら、悩みなど持たずに、自分の好きな事をやりたいようにやればいいだろうと考えた。そして、その後は、できる限りそのように生きようと努めたのである。

次に、人生を真剣に考えたのは大学に入ってからである。朝のビル清掃のアルバイトを終えて、5,6人のバイト仲間と喫茶店に入り、トーストとゆで卵とコーヒーのモーニングサービスを食べながら、時には授業をさぼって昼まで「人生とは何か」について激論を戦わせていたのである。この激論はほぼ毎日、半年ほど続いたが、皆が同意できるコミュニケは出なかった。

しかし、自分なりの結論を見つけることはできた。それは、「人生とは真善美の探究である」ということであった。これこそはすべての人の人生観であるはずだと思って、激論仲間の説得に努めたが、各自各様の人生観を持っていて、各自それを固持したのである。つくづく、人というのは皆違うのだということがわかった。

この次に訪れるのが、合気道である。入門してしばらくして、翁先生(開祖)のお話を頻繁に伺うことになるが、翁先生は「合気道とは真善美の探求、気育知育徳育常識の涵養である」と話されたのである。これは、私の「人生とは真善美の探求であろう」というものと重なっていた。そこで、合気道は自分の人生が凝縮するものであり、合気道を修行していくことによって、密度の濃い人生を送ることができ、自分の人生観も実践しやすくなるだろうと思ったのである。この真善美の追求は、もちろん今でも追求しているし、ずっと継続していくはずである。

次に出てきた課題は、「自分は何者なのか、どこから来て、どこにいくのか」である。これは、ゴーギャンの絵の題名にもなっているほどの有名な言葉であるから、誰でも考えたり、知りたいと思っていることであろう。

この課題が自分にいつ頃出て来たのか知らないが、この課題の解答を見つけさせてくれたのは、翁先生のお話とそれを文字にした書籍(『武産合気』、『合気神髄』)と合気道の稽古であった。

「人も万有万物も宇宙がつくった。その目的は、地球楽園の建設、宇宙の完成である」から、人は宇宙のプログラムに従って生まれ、死に、また、生まれ、死に、を繰り返すことになる。だから、人は生まれたら自分のやるべきことをやって、次の人に引き継がなければならない、と私も考えている。合気道の稽古で体を遣って技の練磨を続けていくから、それを感じることができるのである。

課題がわかったときには、お迎えが来るまでには、何とかこの解答を見つけたいと思った。だが、合気道のお陰でお迎え前に、何とか自分なりに納得できる解答を見つけることができたようで、あとは実践であるとホッとしたものだった。

しかしながら、課題は一つが解決できたと思ってもまた新たに出て来るようである。次の目標は、「宇宙との一体化」である。合気道の目標が、この宇宙との一体化だからである。

宇宙と一体化できるという自信はない。しかし、翁先生が言われているのだから、それを信じてやるしかない。これまでも、答えなど不可能だと思われたいくつかの課題をなんとかクリアしてきたのだから、次の目標も何とかなるかも知れないとも、期待しているところである。