【第262回】 隠れていたモノを表に出す
今の世界は、物質文明であるといえるだろう。見に見えるモノが優先し、モノの力(体力や物力)がある者が、その力の弱い者を牛耳るような社会といえよう。
しかし、今、世界で争いは絶えないし、世の中には貧富の差が大きく、不平等であるということで、生きていることに本当に満足している人は多くは無いのではないだろうか。人々はこのままではいけないので、何かを変えなければならないと感じていたり、模索しているはずである。
われわれ高齢者は先が見えてきているから、自分達自身のことはともかく、後進の若者たちが少しでも満足して生きやすい世の中にすべく、できるだけのことをすることが務めだろう。
世の中のものは、すべて表裏、陰陽で構成されている。人はその内の都合のいい方を選択し使用してきたが、他方の働きや重要性を忘れたり、無視してきてしまったようだ。例えば、家や車や服装などのモノには目がいくが、見えない心を軽視しているといえるだろう。だからモノが十分あるのに、心が満たされず、イライラしているのである。
合気道の技の練磨においても、陽の手や足だけを遣い、陰を遣わないので、技が効かないのと同じことと言えよう。技が効くためには、「陰」で待機していたものを、「陽」にして働いてもらわなければならない。世の中の待機していた「陰」を、表に出さなければならない。
これからは、これまで陰として表にはでず、重要と思われてなかったものを表に出していかなければならないのではないかと切実に思う。
今その幾つかを思いつくものを挙げてみる。
- 社会の奥に引っ込んでいる老人(後期高齢者)が元気だと、社会が元気になるはずだ。今の社会の閉そく感の原因のひとつは、老人の元気の無さであり、無気力さだと考える。子供や若者に、自分もこのような老人になりたいと思われるような老人が増えれば、若者たちの生きがいにもなり、社会に活気がでると思う。それは、知識ではない知恵の社会でもあり、力のあるリーダーの社会ではなく、知恵のあるリーダーがまとめる協調の社会となるはずである。
- これまでの社会は大人が中心で、子供が裏方であったが、子供が表に出てくれば社会はもっとよくなるだろう。例えば、子供が笑顔になれば、大人も笑顔になる。子供から笑顔が消えれば、大人も悲しくなり、元気がなくなるだろう。子供をもっと表に出したいものである。
- 文化、芸術が、これまで表にあった「経済」よりも心を豊かにする。
経済的に豊かになっただけでは、心は豊かにならないことが分かってきた。ある程度、経済的に豊かになったなら、文化や芸術で豊かな心を持つようにしたいものである。その意味で合気道という文化は、心を豊かにしてくれるはずである。
- モノより心の豊かさが評価される。
人の評価は、お金やモノを持っていることではなく、心、つまり人格で評価されるべきであろう。歴史的にみても、モノ持ち、金持ちで評価されたものはいない。モノや金をいかに遣ったかという、その人の心と人格が評価されるだけである。禅僧や西行や兼好法師などが評価されるのは、お金やモノがなくても心が豊かであったことが、評価されているはずである。
- 万能とされてきた自然科学の限界を悟り、自然と仲良くしたり、宗教を見直す必要があるだろう。
科学を駆使して防波堤を築き、災害に耐えられる原子発電所をつくったはずだが、自然はそれをあっと言う間に破壊してしまった。自然科学が万能であり、自然を克服できるなどという妄想はそろそろ終わりにして、自然の力を再認識し、自然とどのように付き合っていけばよいのか再考しなければならないだろう。
そのひとつの方法は宗教であろう。これまでの宗教にはそのための教えがあるし、また、新しい宗教ができるのもよいだろう。合気道のように宗教ではないが、宗教とも言えるモノもお役に立てるだろう。
これが開祖が言われている、「これまでの物質文明を精神文明にふりかえり、魂(こん)が魄(はく)の上に」と言うことではないだろうか。今まで隠れていたモノを表に出していかなければならない、ということである。
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