【第254回】 数寄(すき)

一部の専門家や専門家を目指す人を除けば、ほとんどの合気道の稽古人は合気道を趣味、ホビーとしてやっているはずである。段をもらっても技を覚えても金にも名誉にもならないし、仕事に活かすということもほとんどないだろうが、それでも少しでも精進しようと一生懸命に稽古をしている。

だが、合気道の稽古や趣味ができるのは幸せであり、恵まれている。なぜならば、いろいろな理由でやりたくともできない人もいるし、趣味など持てない環境や時代もあるからである。また、身体が動かないとか、病い持ちであるとか、仕事をして稼がなければならない等、趣味を持つ環境や状況にない人もいる。国が他国と戦争をしたり、人の生活が衣食住、とりわけ食べ物を確保するだけで精いっぱいの時は、趣味などに費やす時間的、精神的余裕はないわけである。

日本では平安末期までは、貴族や僧侶以外にはみんな農事にあけくれていた。各自が自分が食べるためだけの精一杯の暮らしをしていた。それが室町期になると、農業生産性が上がってきたため、一人の農業者が何人もの非農業者、例えば、商人、大工、左官、能狂言師、連歌師等を食べさせることができるようになった。そしてこれらの非農業者が室町文化をつくったとされる。

室町期の商人には数寄者(すきしゃ)が多かったといわれるように、室町文化の特徴は「数寄」文化といってもいいかもしれない。「数寄」とは、司馬遼太郎によれば「損得を離れた好奇心」ということである。そして、損得を目的にするのを実とすれば、数寄は虚であるという。

人類は数100万年にわたり実の生活をしてきた。日本の場合は、室町時代ごろまで農事という実で明け暮れていたし、現代でも、若い内は実が主体の生活となる。数寄をもつ虚の生き方はなかなか難しいし、数寄ができても虚の割合は実に比べて小さいものであろう。だから、若い内は、実の生活の中で、何とか数寄の虚の部分を潜り込ませていくほかないだろう。

この虚の数寄、例えば、趣味の合気道は金にもならず損得と関係ないが、この合気道が厳しい実の生活に潤いと元気を与えてくれるはずである。オーバーに言えば、心の支えになるはずである。

なぜならば、損得の世界で働いていると、誰でも時として、なぜこんなことをしなければならないのか、なぜ、何のために生きているのか、どうして働くのか等考えるはずだ。そんなとき、数寄(好き)な合気道をやっていれば、自分は数寄でも生きていると、生きている実感をもつことができるだし、実を働く原動力にもなる。

室町期の商人のように十分に儲けて、金の心配をせずに数寄(好き)なことをするというまでにはいかないだろうが、時代が進んだ今では、高齢者になると年金というものがつくので、大方の高齢者は損得を離れて数寄の道を行くこともできるようになってくるはずである。その時は、それまでの損得から離れて、数寄で行けたら幸せだろう。

数寄ということをもっと庶民的にいえば「道楽」となるだろう。我々合気道同士にとっては、「合気の道を楽しむ」ことが数寄ということになろう。

高齢者になれば、若い時の損得主体の実の生き方から、損得を離れた虚の生き方で数寄にし、数寄者になっていきたいものである。

参考文献 「菜の花の沖」 (司馬遼太郎著 文芸春秋)