【第249回】 その時を大事に

人間というものは、欲望に際限がないようである。より早く、より便利に、より楽にときりがない。これを、科学の進歩、文明の発展、豊かさ、というようである。十分に衣食住に満たされているはずなのに、それでもまだ満足できず、さらに豊かになろうとする。このため人は、今現在に満足できないだけでなく、現状を否定することになる。

寒い冬の日に稽古に行くと、「寒い々々」と言って、暖かくはない冬さんを恨む。夏は夏で、「暑い暑い」と嘆く。夏が暑く冬が寒いのは自然であるのだから、冬さんも夏さんも立つ瀬がないだろう。これが逆に、夏が寒く冬が暖かければ異常で、夏さんと冬さんの怠慢か、へそをまげているのだろうから、文句を言ってもよいだろう。

冬が寒い、夏が暑いと嘆いていては、年がら年中嘆いていなければならない。まるで甘やかされている駄々っ子と変わらない。

冬は寒いからよい。寒さは冬しか楽しめない。夏には寒さは楽しめない。それを無理して楽しもうとするから、身体が弱くなったり、クーラー病などで体調を壊すことになる。今は冬の内に、寒さを楽しんだ方がよい。とりわけ合気道という武道を精進しているのだから、そうなくてはならないだろう。その時を大事にすべきである。

「その時」には、時間的なものと、場所的なもの、そして偶然的なものが含まれている。「その時」というのは、この3つの要素で構成されているので、この3つが再び一緒になることはない。
従って、「その時」というのは、二度と来ない機会(チャンス)ということになるので、大事にしなければならない。

道場で稽古をするにしても、道場環境、(例えば、温度や湿度、混雑状況)、稽古相手や稽古相手の状態、自分の状態、師範や指導者の状態などなど、二度と同じ条件で稽古をすることはない。

だから、その時、その時を大事にして、つまりこのチャンスは二度と来ないというつもりで、感謝して稽古をしなければならない。またチャンスは来るだろうから今度できればいいとか、もっといいチャンスが来るだろうなどという気持で稽古をしても、その機会は永遠に訪れない。それでは、チャンスを逃すことになるし、「その時」に失礼だろう。

武道の稽古を続ける目的はいくつもあるし、人によっても違うだろうが、共通するもののひとつに、稽古を通して培ったことを、道場の外での自分の生き方に組み入れていくことがあるだろう。この「その時を大事にする」ということも、技の練磨をしていく稽古で培った、その時々やその瞬間々々を大事にするということを自分の生き方に取り入れていくということである。

年を取ってくれば、残り時間も少なくなってくるのをひしひしと感じるようになる。無駄に時を過ごしたり、その時に不満や不平を言っていないで、その時を享受し、楽しみ、大事にすべきだろう。寒ければ寒さを、暑ければ暑さを、厳しければ厳しさを楽しむ。そうすれば、人生をより楽しむことができるはずである。残りの人生だけでも、そうしたいものである。