【第246回】 自己使命

年を取ってくると、人生とは何か、自分の人生はどうだったのか、人はなぜ生まれて死んでいくのか、人はどこからきてどこにいくのか等など、真剣に考えるようになるようだ。もちろん学生時代も考えてはいたし、仲間と喫茶店で喧々諤々と議論したが、議論で終わってしまっていた。しかし、ひとつだけ心に決めたことがあった。それは、人生とは何かの答えを自分なりに出してから死にたいものだ、ということである。

人は、人生とは何かとか、自分とは何ものか、どこから来てどこに行くのかなど知らなくとも生きていける。生まれて死んでいくことに変わりはない。

しかしながら、それを知らなくてもいいだろうが、知っておくのもいいだろう。また、その解答に他人が違った考えを持っているだろうが、自分が納得するものを持っていればいい。どうせ自分の一生は自分のものであって、他人がとやかくいうものではないからである。自分がよければそれでいいと開き直るしかない。

人生とはなにか、自分の生まれて死んでいくことに意味があるのか、どんな意味があるのか等に対して、自分なりの答えを見つけられたら幸せであろう。しかし、この忙しい世の中でこのような問題提起を自分にし、自分で解答を見つけるのは容易ではない。

一つには、これは個人的な問題であって、学校や会社や国家や世界での問題ではないだろうから、それらの議論のテーマに上らないこともあるだろう。逆にこれらのテーマはそのような組織に害にならないまでも、組織にとってプラスにならないものと思われるからである。だから、この件は個人的に解決するしかないことになる。

人が存在する意味、人の役割などを、組織はせいぜい労働力という解答ぐらいしか出さないが、合気道ではその解答を明快に示している。

曰く、宇宙はその完成に向かい生成化育しているが、そのお手伝いのために人類が創造されたとする。そうだとすると、人が生まれては死んでいくという意味が分かるような気がする。つまり、宇宙の生成化育のため、新陳代謝をよくするために、人は生まれては死に、また新たな人が生まれては死ぬを繰り返すようになっている、と考えることができるわけである。

また、人の存在する意味や人の役割についても、生まれて来る人は、宇宙完成のための何らかの役割、つまり使命を担っているという考えに至るだろう。

今、日本では一日100人以上が自殺をしているという。これは宇宙的な目で見れば大いなる損失といえよう。各自の使命を果たさずに命を絶ってしまっているからである。また残念なのは自分の使命に気がつかなかったことである。

自己の使命は人それぞれ違うし、多種多様である。例えば、子供や孫を育てること、会社を興して拡大すること、社会を健全に保つこと、人の能力レベルをアップすること、世の中を豊かにすること、芸能で人のこころを癒すこと、音楽や絵画で人を感動させること、草木を世話して環境を保全すること、鳥獣を保護すること等など、いくらでもある、というより、人の数だけあるはずである。ノーベル賞を取るとか、殉教するとか、天下国家を制する等、人目につくものばかりが使命ではないはずである。

自己の使命を見つけるために、また、自分の使命を果たすために、合気道を修行する人も沢山いる。それに、合気道の修行をすることを自己の使命としている人も沢山あるはずである。開祖をはじめ、直弟子や開祖の高弟、合気道の指導者等はそうであろう。先人に学んだ合気道を後進に受け継ぐことも、宇宙生成化育には大事な使命であるはずだ。

大事なことは、宇宙完成のために少しでもお役に立つように、自分の使命に気づき、その自己の使命を果たすことだろう。自分に代わる人は絶対にいないのである。自分のいる場所と時間(宇宙)に、他人は決して入れないのである。すべての人に使命がある。