【第242回】 修行に終わりはない

合気道の創始者である植芝盛平翁は最晩年まで、「爺は、まだまだ修行じゃ」とよく言われていた。我々稽古人からすれば開祖の合気道は完成されているように見えたし、開祖の万分の一でもできれば満足であるのにと思ったりしていた。まだまだ修行しなければならないという真意が、理解できていなかったように思われる。

道を精進するのに終わりはないようだ。開祖が言われるように、道を志す多くの人は、修行に終わりはないといっている。例えば、幕末の俳人、上島鬼貫はその著書『独言』の中で、「只臨終の夕までの修行と知るべし」と書いているし、また、剣豪宮本武蔵も「今日は昨日の我にかち、明日は下手にかち、後は上手に勝つをおもい・・・」と書いているという。(合気道新聞 第1号)

名人や達人といわれる人達は、修行に終わりがないとして精進したので、その境地に達し、素晴らしい成果をあげ、後世に残る作品をつくることができたのだろう。

修行に終わりがないということは、人は、

等ということでもある。

少しずつでも完成に近づくことによって、明日はその目標に少し近づけるのではないかと、明日に期待して生きていける人は幸せであろう。合気道の修行でも、今日の稽古をやる時に、明日が期待できるような稽古ができれば、一年後、十年後はもっと期待できることになるので、修行に終わりがなくなってくることになる。

しかし、現実としては多くの場合、途中で終わりを見てしまうのか、修行を中断してしまうことが多いようで残念である。終わりがない修行をしていくためには、まず第一に、やりがいのあるものを見つけなければならないだろう。好きこそものの上手なれといわれるように、好きなことなら精進できるし、多少のことでもくじけないだろう。二つ目は、道にのることである。合気道の場合は、合気の道である。この道にのって一歩一歩進んでいくのである。その道から外れれば外道や邪道に陥ったりすれば、終わりが来てしまう。三つ目は、その道を疑うことなく進み、そして道を邪魔しようとするものには果敢に挑戦していくことである。

終わりのない修行をしていけば、人生を引退する直前が最高の境地になることだろう。それを楽しみに、稽古を続けていきたいものだ。60、70歳では、まだまだ修行の途中であろう。

参考文献    「合気道新聞」 第1号