【第232回】 楽に走るな

人はできるだけ楽をしようとするものだ。楽ができることは善であり、喜ばしいことであると思われている。

人間が少しでも楽になるようにやってきたのが、人間の歴史であると言えよう。人が楽をできる社会を、文明の進んでいる社会や国といい、それにビジネスが便乗し、ますます人や社会を楽にさせようとする。

近年は交通が発達して、近距離でも歩かなくなった。人間の基本である歩くということが、軽視されているといえる。あまり歩かなくなったしっぺ返しは大きい。足腰が弱くなるだけではなく、姿勢が悪くなり、背中が曲がったりして、体形が崩れてくる。

歩くにしても緊張がなく、でれでれ歩くのでは美しくない。ガニ股になったり、足を引きずって歩いたり、靴の底の外側がすり減るような、変な歩き方を見かける。

楽をしようとしてしっぺ返しがあるのは、歩くことの他にもいろいろある。例えば、椅子などの腰の掛け方である。会社で長時間、それも毎日、机に向かう場合、足を組んだり、体をねじってすわっているので、腰や背中がねじれてしまっている。

畳や床に座る場合も、男性は胡坐、女性は横座りと足を崩してしまうから、立ったり歩いたりする時に、男性はガニ股、女性は片方の足先が極端に内側や外側に向いたりする歩き方になってしまう。

街で歩いている人を見ると、その多くが腰がねじれたり、両脚が揃わなかったり、膝をおりまげて歩いたり、足先が内側を向いていたり、背を丸めたりしている。背筋を伸ばし、力強く、美しく歩く人をあまり見かけなくなってきたようだ。

人はもっともっと楽したいと思っているようだが、この辺りで軌道修正をし、楽することを考え直した方がよいのではないだろうか。このまま楽な文明を進んでいけば、人は駄目になってしまうのではないかと思うからだ。人を駄目にするような文明は正しくないはずだ。

といっても、これだけ楽になった文明を最早拒否することは出来ないから、楽をする文明に少し対抗する反文明をもつのである。例えば、できるだけ交通機関を使わずに歩く、食事や仕事で姿勢に気をつける、立ち居振る舞いに緊張感を持つ、歩く際には一歩々々意識する、道場にいる間は極力正座をする、などなどである。

物事によいことだけはない。合気道で教えられるように、すべてによいことと悪いこと、陽と陰が同居している。これまでは楽することだけを追ってきたようだが、そろそろ自分に少し苦労してもらい、緊張してもらうようにしなければならないのではないだろうか。

合気道の稽古でも、楽に走らず、自分にシビアな稽古をしていきたいものである。