【第202回】 地上楽園の種子

合気道は宇宙生成化育、地上楽園をつくるお手伝いをするものだと、開祖は常々言われていた。宇宙が出来てまだ136億年、人類が猿からわかれて今日までたかだか5〜600万年であるが、これまでを振り返り、周りを見、そして自分自身を観察してみると、人類は、宇宙生成化育とはいかないまでも、大きな目で見れば、地上楽園の完成に向かって進んでいるように思える。

もちろん、その完成を阻害するような戦争をしたり、地球を破壊することも多々あるが、それらは一時的な後退であって、大局的には一つの方向に進んでいると思う。美しいものは誰でも、どこの国や地域の人でも、また、時代が違っても、美しいと感じるし、善いことも同様であり、大局的に人類は、悪いものを排し、美しいもの、善いものを好むし、それに向かって進んでいると言えるのではないだろうか。

人はそれぞれ100年足らずで地上から姿を消していくが、また別な人が生まれ、そして死ぬを繰り返してきている。もしかすると地上楽園をつくるための宇宙のプログラムなのかも知れない。一人の人間がやるより、ほぼ100年で新陳代謝を図った方が、地上楽園の完成のためにはよいということであるのだろう。

ただし、新人が先人と全く同じことをやっていたのでは、新人は先人と何ら変わらないわけなので、地球や宇宙は変わらない。地上楽園を完成し、またはそれに少しでも近付くためには、先人が蓄積した地上楽園の完成のための知恵を、新人が受け継いでいくことであろう。

年を取ってくるにつれ、地上楽園はいつか完成するだろうし、人だけでなく万有はそれに向かって進んでいると感じたり、信じることができるようになるだろうが、後進である子供や若者にはそのようなことを考える余裕もないし、興味もないだろう。

しかし、子供でも若者でも、地上楽園のために無意識で生きようとしているように思える。自分の為に勉強したり、習い事をしたり、またなんの利益や得もないのに、人や動物や植物の世話をしたり、老人の面倒をみたり、地球環境保全に尽力したり等など、一生懸命にやっている。おそらく、子供や若者も無意識のうちに、地上楽園完成のお役に立とうと生きているのではないだろうか。ただ、大人やまだ未完成の社会がそれを邪魔しているのだろう。

本来、人の心は、地上楽園の花園の花の種子を宿しているのではないだろうか。地上楽園のためには、人に宿るその花の種子に気付かせたり、また、すでに種子をもっている後人を見つけ、その種子を開花させる手助けをするのが、われわれ高齢者の仕事ではないだろうか。地上楽園になるためには、人類すべての花の種子が開花しなければならないはずであろ。

合気道でも、まず自分の種子を開花させる努力をし、次に後人の種子を開花させるお手伝いをすることだろう。そして、その後人が次の後人の種子を開花させるを繰り返していけば、やがて地上楽園に満開の花園ができるだろう。これが開祖が言われている「地上楽園をつくる」ということではないだろうか。

参考文献  『人中の花』司馬遼太郎