【第20回】 チャレンジ

以前から気になっていたが、電車に乗っている人や、街を歩いている人などを見ると、疲れた様子の人、陰鬱な顔をした人など、覇気がなく暗い顔をした人が多い。にこにこして陽気で元気なのは、両親と一緒にいる子供と恋人同士くらいなものである。

先日、高尾山に行ってきた。今回は、1本歯の下駄での初チャレンジであった。杖が入手できなかったためバランスをとるのに苦労したが、山頂まで登り、そして無事下山することができた。下山での最後のところでは足がガクガクしはじめて大変だったが、なんとか目標が達成でき、この久々の危険なチャレンジをしたことや、それを克服した達成感に満足できた。

人は、自分を成長させるためや、自分が生きていると実感するために、何かをしたい、しなければならないと思うものであり、そのための大量のエネルギーをもっているように思える。通常は好きでやりたいことや、嫌でもやらなければならないことなどやって、このエネルギーを消化していいる。しかし、やりたいと思うことや、嫌でもやらなければならないことを、やらないで逃げてしまうと、このエネルギーが過剰にたまって、自分の内面の無意識からの突き上げとなり、イライラしたり、人に八つ当たりしたり、ウツになったりしてしまうようだ。

人生はある意味では自分へのチャレンジであろう。小さなチャレンジもあるし、時には大きなのもある。大事業を成し遂げた人は、常人よりも大きなチャレンジを常時しているのだろう。開祖は自分で高い目標をたて、それにチャレンジされた。また、隙があれば弟子に夜でも、いつなんどきでも打ち込んで来いといわれたように、命をかけ、合気道をかけてのチャレンジをされていた。

冒険家は人間の極限を追及するチャレンジの専門家である。命を張ってのチャレンジに人は感動する。
チャレンジの成功が一番大事なことではない。一番大事なのはチャレンジすることである。失敗したことはそれほどの後悔にはならないが、チャレンジしなかったことは一生後悔するものだ。自分の気持に耳を傾け、素直にその声にチャレンジする生活パターンをつくれば、満足した明るい顔になっていくのではないだろうか。