【第195回】 老齢化は省エネ化

新しい年を迎え、今年の誕生日に70歳の大台に上れるのを楽しみにしていたのだが、残念ながら計算違いで、今年もまだ「洟垂れ小僧」の60歳代最後の年であった。こうなれば「洟垂れ小僧」最後の年を、「洟垂れ小僧」らしく生きてみようと開き直るしかない。

60,70歳は高齢者とか老齢などという時代ではなくなったが、世間ではまだまだ旧習とか思い込みによって、60,70歳を高齢者と見るし、年を取る老齢化を悪いことや悲劇と考えている人が多いようだ。

老齢化に否定的な考えを持っていたら、年を取ることがマイナスに働いて、年を取っていくことがその人を惨めにしていくことになるだろう。

若い頃のことを思い出してみるとよい。その頃はエネルギーがあり過ぎて、いろいろなことを手当たり次第やっはいたが、どれをやっても満足できるものはなかなか見つからず、自分はどの方向に進めばいいのか皆目分からなかったはずである。そして、「自分は何を待って生きているのか」といつも自問自答しながら悶々としていたと思う。

年を取ってくるとエネルギーが減少するせいか、手当たりしだい挑戦することもなくなったし、やることも絞られてきて、自分がどっちの方に行けばいいのか分かってくるようになる。偉人や天才は、エネルギーに満ちている若いうちに、自分の行く方向を見つけるようだが、我々凡人や、サラリーマンなどとして社会に組み込まれてしまった生き方をしている者には、若いうちにそれを見つけるのは難しいだろう。

整体の先生がいうには、若者はエネルギーが強いので、中々気が通り難いのだそうだ。それにくらべて、80歳以上の人の体は気を通しやすく、気を通す先生サイドとしては、楽で気持ちがいいという。

気を通しやすいということは気が暴れまわらず、素直に無駄なく流れているということだろう。省エネになるということでもある。

「無駄」というのは、「道」とのつながりのないもののこととも言えよう。老齢化とともに、「道」との繋がりの有無の判断もできるようになり、無駄がない省エネで仕事をしたり、生きることができるようになるはずである。

高齢者は若者よりも無駄を少なく生きることができるし、また稽古も無駄なく、省エネで出来るということになる。

70歳の大台にのるのも楽しみだし、さらなる省エネの老齢化で自分がどれだけ変わるものなのか、早く体験したいものと思っている。