【第190回】 天命、使命

まだ経験してないので分からないが、人は自分の一生の最終的な評価を、死ぬ直前にするのではないかと思う。意識があるようでいて、無意識にいるのか分からないような状態で、自分の一生に自分は満足したかどうかを考えるのではないだろうか。最後の瞬間は無垢になると思うので、富も財産も関係のない評価になるのではないかと想像する。

これまで誰も死に瀕して、最後に何を考えたかを残していないので、思ったことを言わしてもらうが、自分の一生は有意義で幸せだったと満足する人もあれば、満足しないしない人もいる筈である。恐らく多くの人は、まあまあの人生だったが、あれはああやっていればよかった等の後悔と反省があると思う。これが日本の仏教で言われる、閻魔様のお裁きなのだろう。

私の体験から言わしてもらえば、死に瀕した瞬間、それまで自分が見たものや経験したことが、映画のフィルムのように過去へ過去へと逆転して再現してくるようである。幸いなことにそのフィルムが途中で切れたので、現世に復帰できて、閻魔大王にお会いすることは出来なかったわけだ。まだ使命があるということで、生かされたのだろう。この体験から、人はみんな自分の経験したことを自分のフィルムに焼きつけていて、死ぬときに自分の一生のフィルムを見るのではないかと思うようになった次第である。

自分の一生に真から満足出来るかどうかを決めるキーワードは、「使命」であろう。自分の使命、天から与えられた天命を全うしたかどうかということではないだろうか。
開祖は、「自分というものはどこから出てきたものであるか、また自分は何事をなすべきか、よく自分を知るということが自分に課せられた天の使命であります。」(『合気真髄』)と言われている。

合気道の教えでは、人は宇宙の修理固成、生成化育のために創造され、生かされているという。宇宙が出来てまだ137億年しかたっていないが、宇宙が完成するためにはまだまだ先が長い。人が各自の使命を果たしていくことによってその事業を完成に近づいていくことになるので、人は各自の使命を果たすようにプログラムされているのではないかと考える。

従って、宇宙のプログラムに従って一生を終えた人は満足し、それに従わなかったり、やらなかった人は、満足できずに逝くことになるのではないだろうか。
閻魔様に叱られないように、天命を知り、使命を全うしたいものである。